レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 1997年06月08日
- 登録日時
- 2016/11/01 15:22
- 更新日時
- 2017/05/11 12:00
- 管理番号
- 20161101
- 質問
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解決
1266(文永三)年日本へ派遣された蒙古の使者が高麗で足止めをくった(日本にたどり着けなかった)件についての原史料が見たい
- 回答
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出典のひとつとされる『高麗史日本伝(上)』をご覧ください。参考として『高麗史』(国書刊行会)もご提供します。
もうひとつの出典とされる『東国通鑑』は国会デジタルコレクションで見ることができます。
- 回答プロセス
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①『年表日本歴史 第3巻』(筑摩書房) P75に記事があるが、文永4年のことになっている。出典は『東国通鑑』とのこと
②『東国通鑑』の読みがわからない。「アズマ…」「トウゴク…」で国書総目録を確認するが出てこない
③『史料総覧 巻5』(東京大学史料編纂所) P130 文永三年12月30日記事を見つける
『年表日本歴史』と一年ずれるが…
④「東国通鑑」は、「トウゴクツガン」と読み、朝鮮の歴史書(国史大事典より)
国会デジタルコレクションで「東国通鑑」が見られるが、よくわからない…。
⑤基本に戻る
『モンゴル襲来の衝撃(日本の中世9)』P54~
文永3年に出発し、文永4年正月に巨済島まできて、「風涛の険を恐れて引き返し、日本には到達しなかった」。
つまりこの話の出典を探せばよいわけだ。
…東国通鑑しかないのだろうか
⑥『蒙古襲来(戦争の日本史7)』(吉川弘文館)では、同じ出来事の出典として『高麗史日本伝』をあげている。
これなら岩波書店から出ている。当館では所蔵していないので県から取り寄せ手配。
⑦当館地下にあった『高麗史』をみる。漢文なのでとてもわかりにくいが、おそらくP394下段あたりがその記事だと思われる
丁卯八年春正月:「~遥望対馬島見 大洋万里 風涛蹴天」
⑧県立図書館から取り寄せた『高麗史日本伝(上)』を確認。
書き下し文と原文あり。
⑨元宗八年の記事だとわかったので、国会デジタルコレクションの『東国通鑑』に再チャレンジ。
該当部分を見つけることができた。
⑩『高麗史』と『高麗史日本伝』を提供。東国通鑑はデジタルコレクションを案内。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 『高麗史日本伝 上』 武田幸男/編訳 岩波書店 2005年 【210.3】 P66 (家043)
- 『高麗史 第1』 市島謙吉/編 国書刊行会 1909年 【221】 P394 下段
- 『東国通鑑 巻之34,35』(出雲寺松柏堂) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/776396 (最終確認20161101) 18コマ目 (元宗)八年 冒頭の部分
- 『戦争の日本史 7』 吉川弘文館 2007年 【210.19】 P22
- 『史料綜覽 卷5(鎌倉時代之2)』東京大學史料編纂所/編纂 東京大学出版会 2009年 【K 210.08】P130
- 『年表 日本歴史 第3巻』井上光貞/〔ほか〕編集 筑摩書房 1981年 【210.03】
- キーワード
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- 元寇
- 蒙古襲来
- 高麗
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000199003