レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年09月07日
- 登録日時
- 2014/09/07 10:45
- 更新日時
- 2014/11/29 10:55
- 管理番号
- 長野市立長野-14-016
- 質問
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解決
長野盆地のことを「善光寺平」というが、いつから呼ばれるようになったのか。
- 回答
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近代的地理教育が始まる明治二十年代に名づけられたという記述がありました。
- 回答プロセス
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長野県北信地方の歴史の資料にあたるが、善光寺平という表記はあってもいつからそう呼ばれ始めたかについての記述はみつからない。
郷土資料の地理の書架にて、「善光寺平」と書名に入る資料をあたっていく。
『ふるさと地理誌 2』p3に、
「寺院の名が盆地や平野の地域名になっている例はあまりない。その点善光寺平という地域名は珍しいだけでなく、歴史性があってすばらしい。
しかしその呼称は古いものでなく、近代的地理教育が始まる明治二十年代に名づけられた。」
という記述があり。
『千曲塾 第2集〔第6回~第8回〕』p50-51
赤羽貞幸信州大学教育学部教授「ここは、佐久平、あるいは佐久盆地。長野県では佐久平と呼んでいますが、僕ら地形学の方では、平というのはなくて、佐久盆地。外国からきた言葉です。」
市川健夫千曲塾塾長「盆地と平は、厳密には違うという話がございましたが、現在、長野県には5万分の1地形図で見まして、『平』(たいら)という地名が246ほどあります。この中で、いわゆる盆地にある『平』地名は21しか無い。急傾斜地のちょっとフラット(平地)になった所を『平』と付けているところが多い。川中島平とか、善光寺平という地域名は明治になってからつけられたものです。」
という記述あり。
『信州デジくら』(https://digikura.pref.nagano.lg.jp/)
にて、善光寺平と検索したところ、『小学信濃地理書 全』などがヒットする。
http://digikura.pref.nagano.lg.jp/kura/id/02BK0104162011-jp <最終確認:2014年9月7日>
5コマ目の地図に「善光寺平」という表記あり。
6コマ目には、
「故ニ古来善光寺平佐久平諏訪平伊那谷木曽谷松本平等の稱アリ今其稱ニ随ヒテ之ヲ六個ニ大別ス」
「戸隠黒姫ノ諸岳ヲ西ニシ白根四阿ノ連山ヲ東ニスル上水内下水内上高井下高井更級埴科六郡ノ地ヲ善光寺平ニ属シ」
などと記載あり。
「稱」という言葉がわからなかったので調べたところ、「称」の旧字であり「よび名」という意味があるとわかる。
『新選国語辞典 第六版』小学館 1987 p1132
古来から善光寺平という呼び名があったということになるが、いつごろからかはわからない。
デジくらの検索でヒットした他のものを確認すると、明治時代の教科書などが多くみられることがわかるので、
前述の通り、明治の近代的地理教育が始まったころから「善光寺平」という地名が一般的に使われるようになったのではないか。
国立国会図書館サーチ(http://iss.ndl.go.jp/)にて「善光寺平」と検索。
古い順で並び替えすると、
『信濃新地誌』津島壱城/著 水琴堂書店 1899 の目次「善光寺平地方」
が一番古い資料としてヒットする。
以上のことからみて、明治二十年ごろから善光寺平と呼ばれるようになったとみてよさそうであるので、回答する。
- 事前調査事項
- NDC
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- 地理.地誌.紀行 (290)
- 参考資料
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- 『ふるさと地理誌 2 善光寺平 北信濃』信濃毎日新聞社/編 信濃毎日新聞社 1985.06 <N290フ2> (p3)
- 『千曲塾 第2集〔第6回~第8回〕』国土交通省北陸地方整備局/企画・編集 国土交通省千曲川工事事務所
- 『小学信濃地理書 全』白井 毅/編 慶林堂 1887 (デジくらにて閲覧可。http://digikura.pref.nagano.lg.jp/kura/id/02BK0104162011-jp 県立長野図書館所蔵)
- キーワード
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- 長野盆地
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000159542