レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/11/13
- 登録日時
- 2014/06/06 00:30
- 更新日時
- 2014/06/06 17:39
- 管理番号
- 所沢本-2014-009
- 質問
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解決
三富(上富・中富・下富)の地名が江戸時代から使われていたか、どうして現在の位置関係(東から上富)にあるのか知りたい
- 回答
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三富は元禄七年~九年に開拓され、元禄九年に完成し、川越より方位をたて上・中・下の三つに区割して、上富村百四十八戸、中富村四十八戸、下富村五十戸の村をつくりました。
以下の資料に記述があります。
〇『所沢市史 地誌』 所沢市史編纂委員会/編 所沢市 1980年
〇『武蔵国郡村誌 第4巻』 埼玉県/編纂 埼玉県立図書館 1954年
〇『新編武蔵風土記稿 埼玉編 上之巻2』 千秋社 1981年
〇『所沢の歴史と地理』 内野弘/著 山陽印刷 1985年
〇『所沢史話』 内野弘/著 所沢市教育委員会 1974年
〇『ところざわ歴史物語』 所沢市教育委員会/編 所沢市教育委員会 2006年
〇『三富開拓誌』 三富史蹟保存会編 三富史蹟保存会 1976年
〇『埼玉県地名誌』 韮塚一三郎/著 北辰図書 1977年
- 回答プロセス
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1.所蔵資料の内容確認
〇『所沢市史 地誌』 所沢市史編纂委員会/編 所沢市 1980年
p85 下富=下富は村(富岡村)の北部に当り、~略~元禄九年五月より(名主広右衛門の先祖、大袋新田より来て)開発し、同十九年松平美濃守検地あり、川越領として明治時代に至れり。[郡誌]
下富村・中富村=元禄七年~九年に開拓され、村名に「富」の字をつけた。~略~
〇『武蔵国郡村誌 第4巻 埼玉県』/編纂 埼玉県立図書館 1954年
p316 「上富村」に『所沢市史 地誌編』の元になった記述あり、管轄遠隔その他詳細な記述あり、「川越より方位をたて上中下の三村に分つ(風土記)」の記述あり
p319 「中富村」に『所沢市史 地誌編』の元になった記述あり、管轄遠隔その他詳細な記述あり
p321 「下富村」に『所沢市史 地誌編』の元になった記述あり、管轄遠隔その他詳細な記述あり
〇『新編武蔵風土記稿 埼玉編 上之巻2』 千秋社 1981年
p308~310 「上富村」、「中富村」、「下富村」の記述あり、それぞれ「川越城より~」と方角の記述あり
p22~23 「元禄年中改定図」に、「上富村」、「中富村」、「下富村」の記述あり、東から上・中・下の位置
〇『所沢の歴史と地理』 内野弘/著 山陽印刷 1985年
p250 「中富村」の記述あり
p252 「下富村」の記述あり
p78~81 「元禄期三富の開発」に「元禄九年に完成し、上・中・下の三つに区割して、上富村百四十八戸、中富村四十八戸、下富村五十戸の村をつくりました」と記述あり。
〇『所沢史話』 内野弘/著 所沢市教育委員会 1974年
p110 「三富の開拓」にも 『所沢の歴史と地理』と同様の記述あり
〇『ところざわ歴史物語』 所沢市教育委員会/編 所沢市教育委員会 2006年
p44 「三富新田の開発」の項目に、「吉保は新村の名を『論語子路篇』からとり、「三富」として上富、中富、下富の三か村に分けた」と記述あり。
〇『三富開拓誌』 三富史蹟保存会編 三富史蹟保存会 1976年
p132 「十八、三富を定めたる起源」の項目に「元来新村のことなりし故何れを下とすべき由なき故、川越城より方位をたて、上中下の三富に分けるとぞ。」と記述あり。
〇『埼玉県地名誌』 韮塚一三郎/著 北辰図書 1977年
p186 「上富」の項目に「富に上、中、下を冠したのは、川越城から方位を立てて分けたものだといわれている。」と記述あり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 参考資料
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- 所沢市史 地誌 所沢市史編纂委員会/編 所沢市 1980.3 213.4
- 武蔵国郡村誌 第4巻 埼玉県/編纂 埼玉県立図書館 1954 291.34
- 新編武蔵風土記稿 埼玉編 上之巻2 千秋社 1981 291.3
- 所沢の歴史と地理 内野弘/著 山陽印刷 1985 213.4
- 所沢史話 内野弘/著 所沢市教育委員会 1974.3 213.4
- ところざわ歴史物語 所沢市教育委員会/編 所沢市教育委員会 2006.3 213.4
- 三富開拓誌 三富史蹟保存会編 三富史蹟保存会 1976 213.4
- 埼玉県地名誌 韮塚一三郎/著 北辰図書 1977 291.34
- キーワード
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- 三富
- 上富
- 中富
- 下富
- 三富新田
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000154022