レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/07/26
- 登録日時
- 2014/04/12 00:30
- 更新日時
- 2014/04/21 13:21
- 管理番号
- 6001001256
- 質問
-
未解決
大阪市体育奨励会と健母会の組織と業績について調べています。
初代会長が植村俊平(1911.12~)、副会長が上村俊平、梶山延太郎の両氏であったことや池上四郎大阪市長が会長を務めたことが判明しています。
質問1:初代会長の植村俊平、副会長の上村俊平、梶山延太郎はどう言う経歴の人物であったのか?
質問2:池上会長時代の副会長は誰でどんな経歴の人物であったか?
質問3:奨励会の業績にどんなものがあるか?
質問4:会報や調査報告書を出していることになっているが、それらを入手したい。
質問5:大阪市民体操をドイツの目的体操を参考に制定していることになっているがその具体を知りたい。
質問6:奨励会に付設されたとされている「コケッコッコ団」の組織と活動について知りたい。
質問7:健母会の組織と業績
質問8:健母服はどんなものであったか?
- 回答
-
質問1:初代会長の植村俊平、副会長の上村俊平、梶山延太郎はどう言う経歴の人物であったのか?
<回答>
植村俊平:『大阪人物辞典』143頁に「四代大阪市長。文久三年(1863)山口生れ、植村島之丞次男。明治19年(1886)東京帝国大学法科大学卒業。同大学助教授を勤めたあと留学し、ロンドンで法律学を修め帰国、日本銀行副支配人・九州鉄道支配人、鉄道院理事を経て、同43年8月第4代大阪市長になった。」とある。また、『日本の歴代市長』756頁にも同様の記載があった。
上村俊平:残念ながら手掛かりを得ることはできませんでした。
梶山延太郎:『明治大正昭和大阪人名録 上巻』117頁に「大阪府事務官、内務部長、西区江之子島六府廳内」との記載があった。
質問2:池上会長時代の副会長は誰でどんな経歴の人物であったか?
<回答>
残念ながら副会長を確認することはできませんでした。
質問3:奨励会の業績にどんなものがあるか?
<回答>
既存の情報以上のものは得られませんでした。
質問4:会報や調査報告書を出していることになっているが、それらを入手したい。
<回答>
国立国会図書館サーチやGeNii等で検索しましたが、タイトル等の書誌情報や所蔵館を確認することができませんでした。
質問5:大阪市民体操をドイツの目的体操を参考に制定していることになっているがその具体を知りたい。
<回答>
『大阪スポーツ史』25頁記載の情報以上のものは得られませんでした。
なお、朝日新聞のデータベース「聞蔵Ⅱビジュアル」で「大阪市民体操」をキーワードに検索したところ、以下の記事がヒットしましたが具体には触れていないようです。
・1943年1月27日 東京/朝刊4面 「体力増強に一示唆:大阪市民体操指導者養成」
質問6:奨励会に付設されたとされている「コケッコッコ団」の組織と活動について知りたい。
<回答>
『大阪スポーツ史』25頁記載の情報以上のものは得られませんでした。なお、同書では「コケツコウ団」と記載されています。
なお、大阪府公文書館所蔵資料検索システムで「大阪市体育奨励会」をキーワードに検索すると、「大阪市体育奨励会会則」(「大阪市立中央図書館所蔵文書31」)がヒットしました。当館で内容を確認することができませんが、「大阪市体育奨励会」について何らかの手がかりを得ることができるかも知れません。
質問7:健母会の組織と業績
<回答>
インターネットで「健母会」をキーワードに検索すると、「日本女子オリンピック大会」開催に関わっていることがわかりました。残念ながら、府立図書館の蔵書検索システムで「健母会」をキーワードに検索してヒットする資料はございませんが、「日本女子オリンピック大会」関連の資料なら下記の1件を中央図書館で所蔵しています。
・「日本女子オリムピック年鑑(第一年)」『女子体育基本文献集 第12巻』大空社 1995【780.8/4N/12】
※「凡例」に、「本巻は中央運動社編『大正十三年度 日本女子オリムピック年鑑(第一年)』(中央運動社発行、大正13年)の、本扉から奥付(奥付広告などを含む)までを、原則として原寸で収録しました。」とある。
目次を見る限り、「健母会」の組織に関する記述は見当たらず。
目次の「各種競技規則」のうち、「日本女子ヴァレーボール規定」について「健母会制定」とあり。203-208頁に健母会編「日本女子ヴァレーボール規則」が掲載されているのを確認した。
また、上記資料の別巻に掲載された解説によると、「主催者は当初健母会と中央運動社であったが、第六回大会は水上競技は健母会、陸上競技と球技は日本女子スポーツ連盟の主催となった。」とある。
また、前掲「聞蔵蔵Ⅱビジュアル」および読売新聞のデータベース「ヨミダス歴史館」で「健母会」をキーワードに検索したところ、其々以下の記事がヒットしました。
『朝日新聞』
・1926年10月1日 東京/朝刊3面 「人見嬢帰る」
・1927年5月22日 東京/朝刊3面 「第4回日本女子オリムピック/陸上競技」
・1927年5月23日 東京/朝刊3面 「人見嬢を破った橋本静子嬢/陸上競技」
・1930年7月7日 東京/朝刊3面 「女子世界選手 送別陸上競技」
・1930年9月22日 東京/朝刊3面 「全国女子競技 前畑嬢驚異記録 中等校優勝は愛知淑徳/水泳」
・1931年9月25日 東京/朝刊3面 「京二高女優勝 女子中等の競泳/水泳」
・1932年9月19日 東京/朝刊3面 「健母会水上/水泳」
『読売新聞』
・1924年6月17日 朝刊4面 「女学生の野球試合/大阪」
・1933年8月24日 朝刊5面 「日本女子オリンピック 水泳、庭球を増設 来月9,10日宝塚で大会」
※新聞記事の閲覧および複写方法につきましては、中之島もしくは中央図書館へお電話等でお問合わせください。
更に、Nii論文情報ナビゲータ「CiNii]で同様に検索すると、以下の3件がヒットしました。
・來田享子、木村吉次「女性の競技スポーツ参加推進運動の観点からみた日本女子オリンピック大会」『日本体育学会大会号 46』1995.9.10
・來田享子「1920-30年代の女性スポーツ促進運動と高等女学校(1)」『日本体育学会大会号 54』2003.8.26
・來田享子「1920-30年代の女性スポーツ促進運動と高等女学校(2)」『日本体育学会大会号 55』2004.9.1
※何れもオープンアクセスとなっておりますので、宜しかったらご確認いただければと思います。
質問8:健母服はどんなものであったか?
<回答>
インターネットで「健母会」をキーワードに検索すると以下の記事がヒットしましたが、これ以上の情報を得ることはできませんでした。
・「カメラはタイムマシン 鮮明に甦る姫路100年 明治の女子教育」『広報ひめじ 11月号』1987年 No.705 5頁
※姫路東高校の提供写真の説明に、「大正9年の県立姫路高等女学校の制服。格子縞で別名を健母服といった。」とある。
その他、以下の資料等の目次・索引等を確認しましたが、質問1~8の回答につながるものを見つけることはできませんでした。
・『明治大正大阪市史』大阪市役所編纂 清文堂出版 1966 【328/757#】
・『大阪府教育百年史』大阪府教育委員会 1971-74 【3720.1/229N/1-4】
・『元大阪市長池上四郎君照影』 前大阪市長池上四郎君彰徳会 1941 【352/3613/#】
・『大阪百年史』大阪府 1968【328/411】
・『大阪市教育要覧』大正12-15年度 大阪市役所教育部 1924-1927 【192/359/#】
・『近代日本女子体育史序説』不昧堂書店 1968 【980/377/#】
・『大阪体育協会五十年史』大阪体育協会 1997 【780.6/73N】
・『近代日本女子社会教育成立史』渡辺洋子/著 明石書店 1997 【379.4/40N】
[事例作成日:平成26年3月25日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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「大阪スポーツ史」「なにわのミニスポーツ史」「水泳記念帖」
- NDC
- 参考資料
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- 大阪人物辞典 三善/貞司∥編 清文堂出版 (143)
- 日本の歴代市長 第2巻 歴代知事編纂会∥編集 歴代知事編纂会 (756)
- 明治大正昭和大阪人名録 上巻 日本図書センター (117)
- 女子体育基本文献集 [別巻] 大空社 (79)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌事項調査
- 内容種別
- 大阪,人物・団体,その他
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000152074