レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/8/5
- 登録日時
- 2013/08/22 00:30
- 更新日時
- 2013/08/22 00:30
- 管理番号
- C2013口頭0806
- 質問
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解決
大正時代から昭和初期までの杉並区の養蚕の収繭高の遷移を知りたい。なお、杉並区の周辺は、古くは豊多摩郡という名称だった。
- 回答
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大正時代から昭和初期までの豊多摩郡及び杉並区の養蚕の収繭高を継続的に記録した資料は見当たりませんでした。ただし、大正時代の豊多摩郡の養蚕の収繭高が断片的にわかる資料として、資料(1)、(2)があります。(【】内は当館請求記号)
(1)『東京府豊多摩郡誌』(東京府豊多摩郡 編 東京 1916【291.36-To622t】)
p.114に、「養蠶の如きは十年前に在りては六ヶ村七百六十八戸の飼育者ありしもの、大正四年に至りては五ヶ村(野方、井荻、杉並、高井戸、和田堀内)三百四十六戸の飼育を見るのみ、其収繭は春夏秋通じて千二百四十六石四斗、價額金三萬五千圓に過ぎずと云ふ。」との記載があります。
(2)『養蚕統計. 大正14年』(東京府 編 東京府 大正14年【14.2ロー211】)
p.1に、「第三 繭産額総覧 (市郡島別) (大正十四年)」が掲載されており、「豊多摩郡」の項があります。
また、豊多摩郡及び杉並区のみの数値は不明ですが、大正時代から昭和初期の日本又は東京都の収繭高がわかる資料として、資料(3)~(6)及びインターネット情報(7)、(8)を参考までに御紹介します。
(3)『繭統計表. 大正12-14年』(農林大臣官房統計課 編 東京 大正13-15(1923)【14.4-219】)
pp.4-11に、大正2年から大正12年までの日本の収繭高と、大正12年の全国都道府県別の収繭高が記載されています。
(4)『繭統計表. 大正15至昭和9年』(農林大臣官房統計課 編 東京 昭和2-10【14.4-219】)
pp.8-19に、大正13年から昭和9年までの日本の収繭高と、昭和9年の全国都道府県別の収繭高が記載されています。
(5)『日本帝国統計年鑑. 第31-45囘』【14.4-201】
第43回のpp.80-81に、明治32年から大正11年までの日本の収繭高と大正12年の全国都道府県別の収繭高が記載されています。
(6)『繭蚕糸表. 明治42年』【14.4-240】
pp.1-3に、明治33年から明治42年までの日本の繭の産出額が掲載されています。
pp.4-11に、明治42年の都道府県別の繭産出総額が掲載されています。
(7)総務省統計局「日本の長期統計系列」の第7章 農林水産業(http://www.stat.go.jp/data/chouki/07.htm)の「7-16 養蚕及び生糸生産量」(http://www.stat.go.jp/data/chouki/zuhyou/07-16.xls)に、明治7年から平成16年までの生糸生産量が掲載されています。
(8)農林水産省「繭生産統計調査」の統計表(http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?lid=000001064453)に、明治19年から平成16年までの東京都の収繭量のデータがあります。
インターネットの最終アクセス日は2013年8月5日です。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 蚕糸業 (630 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 養蚕
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000136183