レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年05月11日
- 登録日時
- 2012/10/31 12:41
- 更新日時
- 2014/09/02 00:30
- 管理番号
- 10-3A-201210-06
- 質問
-
解決
昔、平野区内にあった「含翠堂」について知りたい。
- 回答
-
現在、平野区平野宮町2丁目9-22地先に「含翠堂跡」と記された碑が立っています。「含翠堂」とは、平野七名家の一人、土橋友直ら五同志によって1717年(享保2年)に創設された、大阪初の民間学問所(郷学)です。「入学の節は貴賎を選ばす、師弟の盃あるべし」とされ、誰もが席に連なることができ、また、経営は、すべて同志の寄付金とその運用で維持されました。
経書講読・国学・医学・算術・礼法等を教えたほか、しばしば歌合や連歌、俳諧、狂歌なども開催され、地方文化の中心地として多くの人々が集うようになりました。また、飢きんの際に備えて基金を積み立て、お粥の炊き出しなどもし、たびたび人々を救済し社会に貢献したことは、他の学塾に見られない特色です。
1872年(明治5年)学制公布により閉鎖され、155年間の活動は終わりを告げました。
『大阪史蹟辞典』p137~138、『平野区史』p184~188、『大阪春秋44号』p27~31には、設立の経緯や救済活動について詳しく記載されています。『摂津名所図会 上巻』p130~131では、伊藤東涯が含翠堂に来講した際の講義の様子を見ることができます。
また、土橋友直の家に保管されていた蔵書や日記、遺物は大阪大学に寄贈され、1971年(昭和46年)、文学部国史学研究所によって『含翠堂(土橋)文庫目録』が刊行されました。その内の主要な史料を収録したものに『平野含翠堂資料』があります。
その他『大阪学問史の周辺』p43~110には、含翠堂にゆかりのあった神光寺や、「含翠堂(土橋)文庫」の由来と整理について、加えて含翠堂顕彰碑文、含翠堂碑建立趣旨など関係記録なども収められ参考になります『含翠堂』では、校名が記された額や使われていた教科書等の写真も見ることができます。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 近畿地方 (216 9版)
- 教育史.事情 (372 9版)
- 参考資料
-
- 当館書誌ID <0000214926> 大阪史蹟辞典 三善 貞司/編 清文堂出版 1986.7 4-7924-2341-4
- 当館書誌ID <0011041212> 平野区誌 平野区誌編集委員会/編 平野区誌刊行委員会 2005.5
- 当館書誌ID <0090000395> 大阪春秋 -大阪の歴史と文化と産業と- 第44号 特集:八尾・平野・中河内 大阪春秋社 1985
- 当館書誌ID <0000600706> 大日本名所図会 第1輯第5編 摂津名所図会 上巻 原田 幹/校訂 大日本名所図会刊行会 1919.2
- 当館書誌ID <0000299951> 含翠堂(土橋)文庫目録 -1971- 大阪大学附属図書館/編集 大阪大学附属図書館 1972.3
- 当館書誌ID <0000309508> 平野含翠堂史料(清文堂史料叢書 第4刊) 梅渓 昇/編著 清文堂出版 1973
- 当館書誌ID <0080191065> 含翠堂 含翠堂顕彰会/編 平野戸主会 1985
- 当館書誌ID <0010901971> 大阪春秋 -大阪の歴史と文化と産業を発信する- 通巻117号(平成17年新年号) おおさかの私塾 新風書房 2005.1 4-88269-572-3
- 当館書誌ID <0010211592> 懐徳堂事典 湯浅 邦弘/編著 大阪大学出版会 2001.12 4-87259-080-5
- 当館書誌ID <0011438647> AZ HIRANO -平野区観光ガイド- 平野区役所区民企画室 2007.3
- キーワード
-
- 大阪府大阪市平野区
- 含翠堂
- 郷学
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000113218