レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011/08/24
- 登録日時
- 2012/03/22 02:01
- 更新日時
- 2017/03/25 16:46
- 管理番号
- 6000005361
- 質問
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解決
豊中市中桜塚2丁目にある瑞輪寺(ずいりんじ)の由来がわかる資料はあるか。
- 回答
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瑞輪寺はもと桜墳山善光寺という真言宗の寺院で、原田神社の神宮寺として大きな境内をもっていたが、天正年間、荒木村重の乱で焼失、元禄年間に再興して現在の寺号に改め、禅宗の黄檗宗万福寺の末寺となった。臨済宗の僧一休宗純が20年余り在住し、境内の墓地には一休の子紹禎(しょうてい)の墓と伝えられる僧塚がある。さらに井原西鶴門下の四天王のひとり俳人の水田西吟の墓もある。
『とよなか歴史・文化財ガイドブック』(豊中市教育委員会)『大阪府の歴史散歩 上』(山川出版社)などに記載あり。
また広報とよなか'89.6月号に「瑞輪寺と西吟」の記事があり、岡町図書館参考室で保存している。
- 回答プロセス
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豊中市関連の資料を探し、上記資料に瑞輪寺のことが載っていたため紹介した。
また『新修豊中市史 通史1』(豊中市)p296、p824に、瑞輪寺に関する記述があるほか、『大阪墓碑人物事典』(東方出版)には、瑞輪寺に墓碑のある歴史上の人物として、水田西吟と(伝)岐翁紹禎(きおうしょうてい)の名が挙げられている。『わが町の歴史豊中』(文一総合出版)p46「寺院の建立」にも、曹洞宗の広がりを示すものとして、瑞輪寺に一休宗純が1417年から滞在したという記述がある。『続千里の歴史と伝統』(大阪府千里センター)p195には、同じく「岐翁紹偵(ぎおうしょうてい)」にまつわる伝説として、紹偵が一休宗純の実子だったという説が紹介されている。
このほか、『豊中たずねある記』(サンケイ新聞生活情報センター)には、明治時代に瑞輪寺を改築した際の棟札の内容の解説がある。
なお豊中市のサイトの有形文化財のページに、瑞輪寺の木造漆箔薬師如来坐像の写真と簡単な説明があり。http://www.city.toyonaka.osaka.jp/jinken_gakushu/bunkazai/shitei_bunkazai/yuukei/tyoukoku/tyoukoku204.html
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 『大阪府の歴史散歩 上』大阪府の歴史散歩編集委員会/編(山川出版社) (p145)
- 『千里の歴史と伝統 続』北田 順三/文と写真(大阪府千里センター) (p193)
- 『とよなか歴史・文化財ガイドブック』豊中市教育委員会生涯学習推進室地域教育振興課/編集(豊中市教育委員会生涯学習推進室地域教育振興課) (p38)
- 『新修豊中市史第一巻』豊中市史編さん委員会/編集(豊中市)
- 『大阪墓碑人物事典』近松 誉文/著(東方出版)
- 『わが町の歴史 豊中』小林 茂/著(文一総合出版)
- 『豊中 たずねある記』鹿島 友治/著(サンケイ新聞生活情報センター)
- キーワード
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- 瑞輪寺(ズイリンジ)
- 寺院
- 真言宗
- 禅宗
- 紹偵(ショウテイ)
- 水田西吟(ミズタ サイギン)
- 豊中
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000104096