レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年02月04日
- 登録日時
- 2012/02/04 16:16
- 更新日時
- 2012/04/09 12:51
- 管理番号
- 10-3A-201202-1
- 質問
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解決
大阪市立中央図書館の敷地の近くにはかつて何があったのか知りたい。
- 回答
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大阪市立中央図書館は昭和36(1961)年、現在地の大阪市西区北堀江(開館当時の町名は北堀江御池通)に誕生しました。建設直前の地図にあたる『大阪市区分詳細図 西区』(1961)を見ると、中央図書館の敷地には「公園」と記されていますが、『図書館通信No.1』(1960.10)のp1には、「市大家政学部グラウンド跡の用地に今着々と建設工事がすすめられている」と書かれており、この地は大阪市立大学のグランドとして使用されていた時期があったようです。
大阪市立大学家政学部は市立中央図書館が建設される前からこの敷地の北側に隣接して建設されていました。同学部は大阪市立女子専門学校を拡充強化したもので、昭和24(1949)年4月に開校しました。
大阪市立女子専門学校の歴史は大正10(1921)年に開校した西区高等実修女学校にまで遡ります。前年に改正された実業学校令に基づいて設立され、大正13(1924)年に大阪市立高等西華女学校、昭和16(1941)年に大阪市立西華高等女学校と改称されました。当初の校舎は西区江戸堀にありましたが、立売堀校舎時代を経て、現中央図書館の北隣にあたる西長堀南通(現在の住居表示は北堀江)に移転しました。なお、『西区史 第三巻』のp350によれば、この土地は土佐藩の大阪藩邸および蔵屋敷跡で、明治維新後は土佐士族岩崎弥太郎が所有し、三菱本社及び岩崎家事業の発祥地でもありました。
『大阪市立大学要覧 昭和28年度』(1953)のp104には「校地、校舎、建物」の項に総合運動場の所在地が西区北堀江御池通であったと記されています。また、『大阪市立大学10年の歩み』(1959)のp48には家政学部の配置図があり、校舎の南側にグランドがあったことがわかります。
その後、大阪市立大学家政学部は、昭和43(1968)年10月に住吉区杉本町に移転し、昭和50(1975)年には生活科学部と改称され、現在に続いています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 9版)
- 参考資料
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- 『大阪市立図書館50年史』 大阪市立中央図書館/編集 大阪市立中央図書館 1972<当館書誌ID:0000372730>
- 『大阪市区分詳細図 西区』 和楽路屋,1961.9<当館書誌ID:0000437535>
- 『図書館通信No.1』(1960.10)大阪市立中央図書館
- 『大阪市立大学百年史 全学編 上巻』大阪市立大学百年史編集委員会/編集 大阪市立大学,1987<当館書誌ID:0070018783>
- 『大阪市立大学百年史 部局編 下』 大阪市立大学百年史編集委員会/編集 大阪市立大学,1983<当館書誌ID:0070049345>
- 『生活科学部の五十年 : 大阪市立大学生活科学部創立50周年記念誌』生活科学部創立50周年記念誌編集委員会/編集 大阪市立大学生活科学部,1999.10<当館書誌ID:0000769972>
- 『大阪市立大学要覧 昭和28年度』 大阪市立大学事務局 1953<当館書誌ID:0080215164>
- 『大阪市立大学10年の歩み』大阪市立大学創立10周年記念誌編集委員会/編 大阪市立大学1959<当館書誌ID:0080214997>
- 『西区史 第三巻』西区史刊行委員会/[編] 清文堂出版 ,1979 <当館書誌ID:0070052014>
- 『新修大阪市史 第十巻付図 「天保期の大坂三郷」』新修大阪市史編纂委員会/編集,大阪市,1996 <当館書誌ID: 0000588399>
- 『南北堀江誌 附幸町』蒲田 利郎/編纂 南北堀江誌刊行会 ,1929 <当館書誌ID:0000246503>
- キーワード
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- 大阪市立中央図書館
- 大阪市立大学家政学部
- 大阪市立大学生活科学部
- 大阪府大阪市西区
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000101111