レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011/03/31
- 登録日時
- 2011/11/03 02:00
- 更新日時
- 2011/11/07 14:33
- 管理番号
- 福参-0639
- 質問
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解決
フランシスコザビエルが来日した際に福岡県の宗像(赤間)を通過したことが明記してある文献があれば知りたい。
- 回答
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『聖フランシスコ・ザビエル全生涯』(河野純徳著 平凡社 1988.9)
に、ザビエルが赤間を通ったという記述あり。
p230(地図)に地図があり、赤間の地名は入っていないが陸路に線が引いてある。ただし、地図に「陸路・海路は訳者の推定」とある。
p233に「香椎、青柳、赤間を経て」という記述がある。
『聖フランシスコ・ザビエル全書簡 3』 フランシスコ・ザビエル[著] 河野純徳訳 (平凡社 1994)
p178がこの時期にあたるが、該当がなかった。
他陸路を通ったことが分かる資料としては
『ザヴィエル』(吉田小五郎著 吉川弘文館 1968)p84、地図
『聖フランシスコ・サヴィエルの生涯』(ヨハネス・ラウレス著 エンデルレ書店 1948)p248
などがある。どちらも宗像(赤間)の地名は記載がなかった。
郷土資料としては次のようなものがあったが質問の件については該当がなかった。
『唐津街道 豊前筑前福岡路』 図書出版のぶ工房編集 (図書出版のぶ工房 2006)
p24に二十六聖人が赤間宿に行ったことは記述されている。
『九州キリシタン新風土記』(浜名志松著 葦書房 1989.6)
福岡市、甘木市、大刀洗町、久留米市、北九州市はあるが宗像市は記述なし。
『むなかたの年表』 宗像市史編集委員会編集 (宗像 2001 p.25)
日本史の項にザビエルの記述はあるが、宗像の主な事項にはない。
『聖堂再生』(松山ちあき編 文化財保存工学研究室 2007.3)
鹿児島にあったザビエル聖堂が解体され、福岡県宗像市に運ばれて2007年着工予定とある。
p102に赤間宿を通ったと記述されているが、出典はなかった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 8版)
- 日本 (291 8版)
- 参考資料
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- 1 聖フランシスコ・ザビエル全生涯 河野純徳 著 平凡社 1988.9 198/22/16 p230(地図)、 (233 赤間)
- 2 聖フランシスコ・ザビエル全書簡 3 フランシスコ・ザビエル [著] 河野純徳 訳 平凡社 1994.9 080//S6-581 (時期はp178、しかし該当なし )
- 3 ザヴィエル 吉田小五郎 著 吉川弘文館 1968 280/8/S2-21B (時期はp84、しかし該当なし 陸路)
- 4 聖フランシスコ・サヴィエルの生涯 ヨハネス・ラウレス 著 エンデルレ書店 1948 198/22/S19 (時期はp248、しかし該当なし 陸路)
- 5 唐津街道 豊前筑前福岡路 図書出版のぶ工房∥編集 図書出版のぶ工房 2006.11 291/9/164-5 (p24二十六聖人が赤間宿に行ったことは書かれている )
- 6 九州キリシタン新風土記 浜名 志松∥著 葦書房 1989.6 198/221/49 (福岡市、甘木市、大刀洗町、久留米市、北九州市はあるが宗像市の掲載はない)
- 7 むなかたの年表 宗像市史編集委員会∥編集 宗像市 2001.3 K222/1/Sム (p25日本史のところにザビエルの記述はあるが、宗像の主な事項には掲載なし)
- 8 聖堂再生 松山ちあき 編 文化財保存工学研究室 2007.3 523/1/126 102
- 9 日本史 1 ルイス・フロイス [著] 柳谷/武夫?訳 平凡社 1978 080//6-4 ( 時期はp89、しかし該当なし。p283抽に陸路を取ったことはあり 陸路)
- 10 イエズス会日本年報 上 村上/直次郎 訳 柳谷武夫 編輯 雄松堂書店 1979 210/18/S15-3 (時期は序説p17、該当なし )
- 11 十六・七世紀イエズス会日本報告集 第3期 第1巻 松田/毅一 監訳 同朋舎 1997.11 198/25/S15-3-1 ( 時期はp746行目あたりから、しかし該当なし )
- キーワード
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- フランシスコザビエル
- 福岡県
- 宗像
- 赤間
- 来日
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000096191