レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年09月26日
- 登録日時
- 2010/11/26 19:47
- 更新日時
- 2011/01/22 09:58
- 管理番号
- 9000006792
- 質問
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解決
廃軌道(ボロ電・山梨交通電車)の旧駅があった場所を訪ねたいが、地図など、旧駅があった場所がわかるような資料があるか。
- 回答
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『ボロ電ロマン:電車の走っていたころの風景 甲斐青柳から甲府駅前間思い出の旅』清水藤夫編 南アルプス市文化協会郷土研究部 2010年)などの参考資料がある。他の資料及び詳細については照会資料をご覧ください。
- 回答プロセス
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1.自館システムで検索すると、書名・件名検索「廃軌道」「山梨交通電車」では未ヒット。「ボロ電」で、『ボロ電ロマン:電車の走っていたころの風景 甲斐青柳から甲府駅前間思い出の旅』清水藤夫編 南アルプス市文化協会郷土研究部 2010年)がヒット。各駅ごとに、駅があった当時の写真と現在の写真が掲載されているが、写真のないものもある。
2.K68の書架のブラウジングにより調査。
・『山梨交通60年史:甲府盆地のくらしとともに』(山梨交通株式会社監修 BJエディターズ 2006年)には、p48-49に解説と路線図がある。
・『山梨交通鉄道線回想録(RM LIBRARY)』(花上嘉成著 ネコ・パブリッシング 1999年)にはp9に路線図、p26に「地形図に見る山交線」があり、p22-47は「山交線乗り歩き「いま・むかし」」がある。
・『山梨の鉄道(山日ライブラリー)』(川島令三著 山梨日日新聞社 2003年)には、p247-251に説明がある。
3.山梨交通電車が運行されていた当時の地図を探すと、『甲府近傍地図 甲府・富士山・韮崎・身延・鰍沢・山中湖・八ケ岳・丹波・高遠・金峰山ほか』(発行年等不明)に掲載があった。
4.一般資料で鉄道関係の図書にあたると、『鉄道廃線跡を歩く(JTBキャンブックス)』第3巻 今も残る消えた鉄路の痕跡60(宮脇俊三編著 JTB 1997年)p84-85、『消えた轍:ローカル私鉄廃線跡探訪(NEKO MOOK)』第3巻 甲信越・東海・北陸(寺田裕一著 ネコ・パブリッシング 2006年)p16-21に山梨交通電車の掲載があった。『新・鉄道廃線跡を歩く』第2巻 南東北・関東編(今尾恵介編著 JTBパブリッシング 2010年)には掲載はなかった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 鉄道運輸 (686 9版)
- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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- 『ボロ電ロマン:電車の走っていたころの風景 甲斐青柳から甲府駅前間思い出の旅』清水藤夫編 南アルプス市文化協会郷土研究部 2010年)
- 『山梨交通60年史:甲府盆地のくらしとともに』(山梨交通株式会社監修 BJエディターズ 2006年) (p48-49)
- 『山梨交通鉄道線回想録(RM LIBRARY)』(花上嘉成著 ネコ・パブリッシング 1999年)
- 『甲府近傍地図 甲府・富士山・韮崎・身延・鰍沢・山中湖・八ケ岳・丹波・高遠・金峰山ほか』(発行年等不明) (甲府,鰍沢)
- 『鉄道廃線跡を歩く(JTBキャンブックス)』第3巻 今も残る消えた鉄路の痕跡60(宮脇俊三編著 JTB 1997年) (p84-85)
- 『消えた轍:ローカル私鉄廃線跡探訪(NEKO MOOK)』第3巻 甲信越・東海・北陸(寺田裕一著 ネコ・パブリッシング 2006年) (p16-21)
- キーワード
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- 山梨交通電車
- ボロ電
- 廃軌道
- 鉄道
- 駅
- 山梨県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 昭和7(1932)年7月に全通した甲府駅前から甲斐青柳まで20.2kmの山梨交通電車線は、荒川橋を渡るまでは道路を走り、その先が専用軌道であった。戦後は「ボロ電」の愛称で親しまれていたが、1950年代から路線バスに利用者を奪われ、昭和37(1962)年6月30日をもって営業を停止した。軌道敷は道路用地として拡幅・舗装され、「廃軌道」と呼ばれている。
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土(交通・道路)
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000074221