レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年07月15日
- 登録日時
- 2010/07/21 12:21
- 更新日時
- 2010/10/05 15:08
- 管理番号
- 名古屋市鶴-2010-017
- 質問
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解決
『凶荒図録』の序を書いている「野村賀真」という人物について調べている。『名古屋市史人物編』の「野村秋足」の項に“時の知事勝間田稔、木村金秋をして窮民の状を書き、秋足をして詞書を書かしめ、題して伏屋の煙といひ、展覧に供ふ”とあるが、この「野村秋足」と「野村賀真」は同一人物なのかを確認したい。
- 回答
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野村秋足(1819-1902)は名古屋の国学者で、明倫堂の国語教授や国立愛知師範学校、岐阜県師範学校の教員を務め、明治19年に名古屋に戻ると“悠々閑日月を送り”、明治35年に亡くなっています。野村賀真については詳しくはわかりませんでしたが、石川県出身の愛知県の役人であったようです。したがって、両者は同一人物ではないと思われます。
- 回答プロセス
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(1)まず、『名古屋市史人物編』を調べてみると「野村秋足」についての記載はありましたが、「野村賀真」はありませんでした。
(2)自館作成の郷土人名索引カードを調べてみると、「野村賀真」はありませんでしたが、「野村秋足」については『明治の名古屋人』にも記載があることがわかりました。また、同書の参考文献に『名古屋史談会誌』が挙げられていました。これらの資料から、「野村秋足」は名古屋の国学者で、明治元年に明倫堂国学教授になりましたが、明倫堂の廃止後は国立愛知師範学校や岐阜県師範学校の教員であったことがわかりました。
(3)Googleで「野村賀真」と検索してみると、『近代歌舞伎年表 名古屋篇第1巻』や『愛知県史 資料編25』に「野村賀真」の名前があることがわかりました。これらの資料を確認してみると、明治18年の「劇場取締規則」の布達に“愛知県令勝間田稔代理愛知県大書記官野村賀真”と、明治26年の「大地主選挙取消についての訴」に愛知県東春日井郡長野村賀真とありました。
(4)「野村賀真」が明治時代の愛知県の役人であることがわかったため、名古屋市史資料の『愛知県官員録 明治初、9、21、24』を調べてみると、“第三課 一等属 野村賀真 石川県平民士族”(明治初年)、“大属 第一課兼第二課 野村賀眞 石川県士族”(明治9年3月15日改)、“非職 元大書記官従六位 野村賀眞 愛知県”(明治21年2月5日改正)、“東春日井郡 郡長 奏任官五等従六位 野村賀眞”(明治24年3月改正)とありました。改めて、『凶荒図録』(明治18年5月刊)の序を確認してみると“従六位野村賀真撰”とありました。
(5)明治元年には「野村秋足」は明倫堂国学教授であり、「野村賀真」は愛知県の「第三課 一等属」の役人であったことから両者は別人で、『凶荒図録』の序を書いたのは石川県出身の愛知県の役人であった「野村賀真」であると思われます。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 『凶荒図録 復刻』 小田切春江/編 ブックショップ「マイタウン」 2003年
- 『名古屋市史人物編 下巻 復刻版』 名古屋市/編 国書刊行会 1981年 p.166-168
- 『明治の名古屋人』 名古屋市教育委員会/編 名古屋市教育委員会 1969年 p.276-277
- 「野村秋足翁事蹟」 味岡正義(『名古屋史談会誌』 第1巻第5号)
- 『近代歌舞伎年表 名古屋篇第1巻』 国立劇場近代歌舞伎年表編纂室/編 八木書店 2007年 p.507-508
- 『愛知県史 資料編25』 愛知県史編さん委員会/編集 愛知県 2009年 p.24-26
- 『愛知県官員録 明治初、9、21、24年』 (名古屋市史資料 市11-1) 2,12,55,97丁
- キーワード
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- 野村賀真
- 野村秋足
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000069287