レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2002年09月25日
- 登録日時
- 2010/01/11 14:52
- 更新日時
- 2010/02/17 10:01
- 管理番号
- 広県図20090059
- 質問
-
原爆投下後,マルセル・ジュノーが訪問した広島の日本軍司令部の場所を知りたい。
- 回答
-
参考資料にあり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
-
- 1『ドクター・ジュノーの戦い:エチオピアの毒ガスからヒロシマの原爆まで 増補版』マルセル・ジュノー/著 勁草書房 1991 (p.267 「それは街の南十五キロの丘の上にあった。」とあり。)
-
2『広島県医師会速報』第939号(昭和53年8月5日)
(p.14 「それは町が破壊されて後,十五キロ南の小さな丘の上に移されていた。」とあり。) - 3『広島・軍司令部壊滅:昭和20年8月6日』宍戸幸輔/著 読売新聞社 1991 (.258 軍司令部,五日市へ疎開に関する記述あり。p.274 広島市郊外の軍司令部(そのころは市の東方の船越町に移転していた。現在の市内安芸区) p284 広島の軍司令部が,残存放射能の脅威のため,広島城址から西十二キロの五日市町に移転してから,わずかに二週間もたたないうちに,今度は広島市東南の郊外にある船越町日本製鋼所工場内に再び移転しなければならなくなった。)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000061842