レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008/08/28
- 登録日時
- 2009/01/23 02:12
- 更新日時
- 2009/01/27 13:17
- 管理番号
- 埼熊-2008-064
- 質問
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解決
昭和5年頃の〈方面委員〉について書かれた資料を探している。方面委員が90歳過ぎの渋沢栄一の枕もとを訪れたという記述が正しいか確認したい。
- 回答
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埼玉県では大正8年7月に「福利員制度」を創設し10月に初の委員を委嘱し、昭和2年に第一回全国方面員会議を東京で開催しているので、渋沢栄一(1840-1931)の枕もとを方面委員が訪れたという記述は合っている。
次の資料の内容を紹介した。『社会福祉事典』『日本史大事典』『国史大辞典』『本庄市民生委員・児童委員のあゆみ‐民生委員制度創設80周年記念誌』
- 回答プロセス
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自館資料を検索する。
『社会福祉事典』「方面委員」に、「1936年(昭和11)方面委員令により設置された制度。1946年(昭和21)民生委員令により廃止されるまで、社会事業の第一線機関として機能した。大阪府は1918年(大正7)米騒動を契機に「方面委員制度」を設け、社会事業の補助機関として位置付けた。
『日本史大事典』「方面委員」に、「民生委員の前身で、第二次大戦前、市町村の区域におかれ、当局者を補助して要救護者の調査・指導などの任に当たることとされた名誉職委員。1918年(大正7)夏の米騒動を機に同年10月公布された大阪府方面委員規程を嚆矢とする。(中略)戦後1946年成立の民生委員令により方面委員令は廃止された。」とあり。
『本庄市民生委員・児童委員のあゆみ‐民生委員制度創設80周年記念誌』p12に、「大正6年、岡山県で「救世顧問制度」が創設された時期と同じくして、埼玉県知事・岡田忠彦は貧困に喘ぐ県民生活の現状を憂い、埼玉県救済協会設立趣意書を起草、渋沢栄一子爵の指導貢献を仰いで大正8年4月に「財団法人埼玉共済会」を発足、同7月には岡山、東京、大阪に次いで全国4番目に「福利委員制度」を創設、10月15日、県内初の福利委員(のちに方面委員、次いで民生委員)を委嘱。」、p13「本庄市民生委員・児童委員のあゆみ(年表)」に、「昭和2 第一回全国方面員会議を東京で開催」とあり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 社会福祉 (369 9版)
- 参考資料
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- 『社会福祉事典』(弘文堂 1999)
- 『日本史大事典 6』(平凡社 1994)
- 『国史大辞典 12』(吉川弘文館 1991)
- 『本庄市民生委員・児童委員のあゆみ-民生委員制度創設80周年記念誌』(本庄市民生委員・児童委員協議会 1998)
- キーワード
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- 社会福祉-日本
- 渋沢 栄一(シブサワ エイイチ)
- 民生委員-埼玉県
- 郷土資料
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000051059