レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2005年11月28日
- 登録日時
- 2005/11/28 13:03
- 更新日時
- 2020/12/11 11:01
- 管理番号
- 山形県-2005-0002
- 質問
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解決
豊烈神社に残る豊烈打毬の歴史を知りたい。
- 回答
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山形市桜町に鎮座する豊烈神社の秋の祭礼(10月6日)は、古式打毬が行われる祭りとして有名です。豊烈神社は、元来遠州浜松城主水野忠邦(天保の改革の中心人物)が藩祖忠元を祀ったことに始まりますが、幕末の弘化2年(1845)、彼の子忠精が山形に移封された後、城内に遷したものです。
豊烈打毬は文政4年(1823)10月6日に初めて奉納された騎馬打きゅうを復興・継承しているものです。
打毬とは紀元前6世紀頃、ペルシャに発祥したともいわれるスポーツで、乗馬や徒歩で行われました。現在、前者はポロ、後者はホッケーに代表されます。
神亀4年(727)、大陸を経て日本に伝わった打毬は現在、山形(天保式)、宮内庁主馬班(弘化形式)と青森県八戸市にしか残っていません。豊烈打毬は、紅白二組に分かれた騎士が、きゅう杖で地面の紙製の毬をすくい、毬門に投げ入れ、その多少で勝負を決める球技です。これと同じ様式のものは宮内庁だけです。
- 回答プロセス
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山形県大百科事典であたり豊烈神社の秋の祭礼で行われているようなので、年中(祭礼)行事関係を調べる。山形県関係文献目録(ホームページ)も参考にする。
- 事前調査事項
- NDC
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- 年中行事.祭礼 (386 9版)
- 参考資料
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- 山形県大百科事典/山形放送(株)/編
- やまがた歳時記/山形新聞社/編
- 祭礼行事/高橋秀夫・大友義助/編
- キーワード
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- 打毬
- 豊烈神社
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌的事項調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000025070