レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2002年03月
- 登録日時
- 2005/12/08 12:46
- 更新日時
- 2006/02/05 10:37
- 管理番号
- 県立長野-02-020
- 質問
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解決
戦前の長野県における廃娼運動及び県議会の議決などがわかる資料はあるか
- 回答
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長野県では、明治10年県当局が公娼制度を認め、翌年から県下各地に遊郭が設置されている。廃娼運動は、明治期に自由民権運動家、キリスト教青年、婦人矯風会員らによって始められた。この運動をうけて、明治22年県議早川権弥、荻原政太が「廃娼建議書」が県会に提出したが、10対20で否決されている。翌23年再び、「廃娼建議案」を提案、13対15で否決された。大正年間も廃娼運動は続けられるが、県会での動きはない。昭和2年の県会では、提案を引き受けた議員の裏切りで上程されなかった。昭和3年には、県議小野秀一を中心に建議案提案の準備が進められた。しかし貸座敷業者らが提案の1年延期を求める陳情をし、提案が中止された。翌4年、小野ら4人の県議が全県的な世論を背景に提案したが、審議未了で終わる。が、廃娼決議へのステップとして、「女子参政権ニ関スル意見書」(婦選案)が決議される。昭和5年、小野を中心に5人の県議が提案者となり「公娼廃止ニ関スル意見書」案が出され、警察が警戒に当たるほどの厳戒態勢の中、12月14日深夜の本会議で規律多数により廃娼決議案が可決された。しかし、10年間の猶予期間付きであったため、その後の戦争のためうやむやにされ、実現は戦後までずれ込んだと、『信州・女の昭和史 戦前編』(青木孝寿著 信濃毎日新聞社 1987)[N367-38-1]p17~29、『長野県政史 第1巻』(長野県編・刊 1971)[N317-74-1]p515~517及び、『同 第2巻』 (長野県編・刊 1972)[N317-74-2])p232~234にある。
- 回答プロセス
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① 県議会の動向がわかる『長野県政史 全4巻』(前掲)の目次から、「廃娼運動」「廃娼の県会決議」の項を探す。第1巻、第2巻に該当の個所を見つける。
② 『長野県政史 第2巻』 (前掲)のp233の記述の典拠としてあげられた『信濃のおんな 下』(もろさわようこ著 未来社 1969)[N367-2-2]の所蔵を確認し、目次よりp171~175の「廃娼決議」の項をみる。この資料でも概略は確認できる。
③ ②と同じ郷土資料の[N367 女性]の書架を見る。『信州・女の昭和史 戦前編』(前掲)を見つける。p17~29「廃娼運動」の項があり、詳細な経過が書かれている。
④ 『長野県史 通史編 別巻 年表索引』(長野県編 長野県史刊行会 1992)[N209-11-4-別2]の近代件名より「廃娼運動」をひく。『長野県史 通史編 7』p546、548~550、『同 8』p350~352、660、662、『同 9』p303~306への指示あり。現物を確認していく。1と3の資料が詳しいので、これを答とする。
- 事前調査事項
- NDC
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- 行政 (317)
- 参考資料
- キーワード
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- 廃娼運動
- 公娼廃止
- 長野県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 『なんでもきいてみよう』(県立長野図書館 平成14 第34集)収録レファレンス
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000025495