レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20180322
- 登録日時
- 2020/04/10 00:30
- 更新日時
- 2020/04/10 00:30
- 管理番号
- 徳郷20180309
- 質問
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解決
西南戦争に参加した各県の人数が刻まれている石碑を現地で見た。稲田家からは何十人も出ているのに、徳島県はいなかった。なぜか。
- 回答
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【A】『阿波郷土会徳島支部会会報 第16集』
「西南の役と官軍墓地に眠る本県出身の将兵」(吉田福一/ 著)
所属、氏名、出身地などが記されており、出身地が全て「高知県阿波国…」となっている。
【B】『角川日本地名大辞典36』
p485「徳島県」の項によると、明治13年3月2日付で、高知県から旧阿波国が分離して徳島県になっている。ご覧になった石碑が当時の県名で書かれているのだとしたら、高知県の人数に含まれている可能性がある。
【C】『徳島県史 第5巻』
p144-146「三 西南の役と徳島県」
「西南の役に徳島県の壮丁は主として丸亀の歩兵第十二連隊に属して従軍した。」と書かれている。
【D】『脇町史 下巻』
p744-747「第二節 西南戦争」
徳島と稲田それぞれの記述がある。
【E】『山城谷村史』
p594-598「第四項 西南の役と本村」に詳しい記述があり、【D】に引用されている。
【F】『阿南市史 第3巻』
p74-75「一 西南戦争」
ほか多数。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 四国地方 (218 8版)
- 参考資料
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- 【A】阿波郷土会徳島支部会会報 第16集 (T205アワ22河野幸夫/著 阿波郷土会徳島支部 1982年)
- 【B】角川日本地名大辞典36 (T290カト1Bp485角川日本地名大辞典編纂委員会/編 角川書店 1986年)
- 【C】徳島県史 第5巻 (T209トク315-5Bp144-146徳島県史編さん委員会/編 徳島県 1966)
- 【D】脇町史 下巻 (T260.2ワキ21-2Bp744-747脇町史編集委員会/編 脇町 2005年)
- 【E】山城谷村史 (T270.6ヤマ1Bp594-598近藤辰郎/著 山城町役場 1960年)
- 【F】阿南市史 第3巻 (T240アナ21-3Cp74-75阿南市史編さん委員会/編 阿南市 2001年)
- キーワード
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- 西南戦争、徳島県、稲田家
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000280415