レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年01月13日
- 登録日時
- 2020/03/31 19:33
- 更新日時
- 2020/03/31 19:35
- 管理番号
- 0131225068
- 質問
-
解決
箕郷町にあった箕輪城を高崎市(当時の和田)に移した時、箕輪城下にあった町も一緒に移ったと聞いている。今は旧高崎の町名が移城前には箕郷町のどの辺りにあったか、わかるような地図はないか。
- 回答
-
慶長3(1598)年に箕輪城は、当時の城主井伊直政により、箕輪の地から高崎(当時の和田)に移城されました。その際、箕輪にあった神社・仏閣をはじめ、武家屋敷や町人屋敷、一般民家を含め城下町の大部分が高崎へ移されました。
連雀町・田町・鞘町・紺屋町・鍛冶町など、移された町名は今も高崎市街の町名として残っています。
以下、当館所蔵の参考資料です。
史跡箕輪城跡 8 (本文編)
箕輪城の歴史 p.4-7
“第5図 箕輪城と城下町周辺の明治初頭における小字界、寺社分布” p.14
明治6年『壬申地券地引絵図』「東明屋村」、「西明屋村」(群馬県立文書館蔵)をもとにして、平成8年箕郷町平面図に小字界・自社の位置をあてはめたもの。
箕輪城シンポジウム
“第2図 箕輪城と城下町周辺の明治初頭における小字界、寺社分布” p.37
「史跡箕輪城跡8(本文編)」より引用。
マチの生活と民俗の変化
箕輪から高崎へ p.15-18
“図1 箕郷城と城下町周辺の地割(関東農政局蔵高地図により作成)” p.16
- 回答プロセス
-
まず箕郷町の歴史に関する本に当たり、次に箕輪城関係で地図のあるものを探した。
以下の資料は、移された町名に関する記述はあるが地図はないもの。
箕郷歴史文化調査研究会研究報告 箕郷歴史文化調査研究会 2017
箕輪城から高崎城への武士や町人等の移動 p.37-54
高崎城築城の経緯や武士や町人の移動について等、詳細に記載。
町名については以下の表あり。
別表1 箕輪から高崎に町名と町人が移った町
別表2 箕輪から高崎に町人が移った町
別表3 箕輪にも高崎にもあるが直接的な関連がないと考えられる町名
別表4 箕輪が由来となった町名
別表5 町の成立過程と高崎城下の町成立年代及び町人の移動
別表6 箕輪城と箕輪城下における明治初頭の町名(小字)
「史跡箕輪城跡8(本文編)」の第5図を模式化したもの。
箕郷町誌 箕郷町誌編纂委員会編 箕郷町教育委員会 1975.8 p.173-174
高崎移城
まんがみさとの歴史 古城武司漫画 箕郷町 1995.10 p.216-217
箕輪から高崎への移城
高崎市史 第3巻 高崎市史編さん委員会編 高崎市 1968.3
高崎寿奈子 西田美英著 p.171-214
高崎志 川野辺寛著 p.215-284
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本 (291 9版)
- 参考資料
-
-
高崎市教育委員会. 史跡箕輪城跡 8 (本文編). 高崎市教育委員会, 2008. (高崎市文化財調査報告書 ; 第229集. 史跡箕輪城跡調査報告 ; 第8集)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009605189-00 (当館資料番号 117257345) - 高崎市教育委員会 編集. 箕輪城シンポジウム. 高崎市教育委員会, 2009. (当館資料番号 117209924)
-
高崎市 編 , 高崎市. マチの生活と民俗の変化 : 商店・職人・町並み・生活. 高崎市, 2002. (高崎市史民俗調査報告書 ; 第8集), ISSN 09169148
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003613347-00 (当館資料番号 117122069)
-
高崎市教育委員会. 史跡箕輪城跡 8 (本文編). 高崎市教育委員会, 2008. (高崎市文化財調査報告書 ; 第229集. 史跡箕輪城跡調査報告 ; 第8集)
- キーワード
-
- 箕輪城
- 城下町
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000279883