レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019/12/12
- 登録日時
- 2020/03/04 00:30
- 更新日時
- 2024/03/29 00:33
- 提供館
- 金沢市図書館 (2310230)
- 管理番号
- 玉川-000790
- 質問
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解決
【スロイスの通訳について】 金沢で初めてカレーを食べたのは明治のお雇い外国人スロイス付きの通訳だったと伝えられているが、3人いる通訳のうち誰が最初だったかを知りたい。
- 回答
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質問者の確認した資料は以下の通り。
『石川県って、こんなとこ』(118573301)p.155「金沢の人間で初めてカレーを食べ、オルガンの演奏を聴いたのは、スロイス付きの通訳だったと伝えられている。」
スロイス関係の資料や、スロイス関連の資料の著者である、津田進三氏、今井一良氏、寺畑喜朔氏、板垣英治氏の著した資料を中心に調査したが、スロイス夫妻がカレーを振舞っていたという記述が確認されたのみで、通訳とカレーに関する記述は確認できなかった。
三人の通訳の名前は、『明治金沢の蘭方医たち』(118464700)p.103によると、伍堂卓爾、武谷俊三、馬嶋健吉(『石川郷土史学会々誌 第33号』「伍堂卓爾の生涯とその系譜」では馬島瑞謙)である。
『明治金沢の蘭方医たち』p.101に、スロイスの夫人が客によくライスカレーをふるまった話と、夫人がよくオルガンをひいたという話が載せられているが、通訳が初めてだという記載はない。
『石川郷土史学会々誌 第29号』(119595878)「金沢最初のもう一つの異人館」にスロイスに関するエピソードが載せられており、「馳走になるときはオルガンを弾いたが」という記載がある。通訳と関連した記載はない。なお、同論文掲載のエピソードの出典は雑誌『新旧時代』で、一部が『兼六園全史』(109207463)に引用されていると記されている。
『兼六園全史』p.323には、「或時兼六園内で馳走になったが今から考ふればライスカレーであったが」、「馳走になるときはオルガンを弾いたが」という記載があるが、通訳と関連した記載はない。なお、相良武雄「加賀藩雇入れの外人」が出典で、「相良武雄が某老人の聞書き」であると記されている。
「加賀藩雇入れの外人」は当館に所蔵なし。国立国会図書館サーチによると、『明治文化研究 第3年(4)』に(一)、『明治文化研究 第3年(5)』に(二)が収録されており、デジタルコレクションが国会図書館内限定で公開されている。
以下のスロイス関連の資料に関連する記載なし。
『資料御雇外国人』(11923331)
『医学近代化と来日外国人』(11103638)
『蘭医スロイスの日本到着』(119600833)
『加賀藩洋書の総合的研究』(109223270)
『伍堂卓爾一世紀事』(近世史料館 特16.62-126)
『石川郷土史学会々誌 第10号』(119552816)
『石川郷土史学会々誌 第11号』(11907045)
その他、以下の回顧録を調査した。
『母校の沿革』(近世史料館 特096.0-195)(金沢大学医学部教授金子治郎の回顧談が収録)
『東の日本・西の独逸』(129706237)「身辺雑話」(伍堂卓爾の子卓雄による回顧談が収録)
『金沢大学医学部百年史』(119566384)「スロイスホルトルマン時代の講義録から」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000275337