レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年11月11日
- 登録日時
- 2019/12/24 00:30
- 更新日時
- 2020/12/17 10:00
- 管理番号
- 3A19006093
- 質問
-
解決
澤田家文書で有名な澤田家は、渡し船の権利をもらったそうですが、どこのことでしょうか?平田の渡しがそのうちのひとつだと聞いたが、それについて書かれたものはありますか。
- 回答
-
澤田家と渡し船に関する資料、また、譲渡を受けたとされる沢田左平太及び沢田家文書に関連する記述のある資料を以下にご紹介します。
(1) 国立国会図書館デジタルコレクション『大阪府全志. 巻之3』(大阪府全志発行所 大正11)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/965800 (2020.10.31確認)(インターネット公開)
p.400-405(コマ番号228-230)「第三篇 国郡市町村誌 第一章 摂津国 第三節 西成郡 大道村 大字南大道」に澤田家に関する記述があります。「十二代義浄より佐平太を以て通称し、延宝四年十一月十四日渡船十六ヶ所の特典を得て益繁栄し、(後略)」「其の保存書中、同家に許可せられたる渡船場所附あれば左に掲記すべし。」とあり、p.405に「船渡し拾壱ヶ所枝渡し共拾六ヶ所之あざ名所付の覚」(貞享弐乙丑年八月廿六日)の文書が紹介されています。
(2) 『日本歴史地名大系 28-[1] 大阪府の地名 1』(平凡社 2001.7)
p.603「天王寺庄村」の項の「平田渡」について、「延宝四年から大坂渡船一六ヵ所の受所となった南大道村の土豪沢田左平太の配下に置かれた(沢田家文書)」と記述あります。
p.604「南大道村」の項に、「その後沢田家は三家に分れ、直系は一二代義浄から左平太と名乗り、延宝四年(一六七六)には大坂廻り船渡しのうち本渡し一一ヵ所、枝渡し五ヵ所の受所としての免許を得て家運繁栄した(文久三年「沢田左平太伝法渡免許次第書」沢田家文書)」と記述があります。
(3) 国立国会図書館デジタルコレクション『大阪市史. 第1巻』(大阪市参事会 明治44-大正4)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/980475 (2020.10.31確認)(インターネット公開)
p.389(コマ番号219)に「渡船」「沢田左平太」の項目があり、「渡船業は延寶四年以来江戸堀川土佐堀川の下流より南北傳法村・九條村・六軒屋村の四ヶ所に達するものを公許し、西成郡大道村澤田左平太之を請負へり。」とあります。
p.526(コマ番号289)に「澤田左平太の渡船」の項目があり「大道村農澤田左平太が請負へる渡船も、諸川船と同じく、元禄三年より運上銀を課せられしが、其後野田新家村傳法間及九條六軒屋間の渡船を開くを許され、運上銀を増額せり。」とあります。
(4) 国立国会図書館デジタルコレクション『大阪市史. 第5巻』(大阪市参事会 明治44-大正4)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1939660 (2020.10.31確認)(インターネット公開)
p.301-383「諸川船要用留」の史料群の中、p329(コマ番号176)に「澤田左平太渡船運上銀」が掲載されています。
(5) 『船極印方(大阪市史史料 第34輯)』(大阪市史料調査会 1991)
p.23 「○大道村左平太渡し船運上・包手形之訳」
p.67 「○大道村佐平太渡船之運上之訳並ニ船数・間数」
の二つの史料が紹介されており、上記の資料に出てくる「沢田左平太」に関する記述と思われます。
(6) 『大阪の生産と交通(毎日放送文化双書 4)』(小林 茂/著 毎日放送 1973)
p.293「新田地域と大坂市中との渡船として、沢田佐平太による伝法茶船が延宝四年(一六七六)から八○艘(届出は四○艘)が航行を始め(略)」とあります。場所の記述はありませんでした。
(7) 『畿内河川交通史研究』(日野 照正/著 吉川弘文館 1986.10)
p.256-274「第ニ編 各論 第五章 横渡船」のp.263に「第19図 沢田左平太渡舟航路図 天保七年申三月「摂津国名所旧蹟細見大絵図」による」があります。p.264に「その由緒と大坂の陣の功績により、大坂川口渡船の特権を得た西成郡南道村沢田左平太の渡船を指している。この渡船経営を表示すると第45表のようである。」との記述があり、「第45表 沢田左平太大坂川口渡船経営表」には、「船渡場」「区間」「年代」が掲載されています。この表には渡船場名が11箇所掲載されています。
この表の出典は小林茂「近世淀川の水利問題」『水利科学』33号です。以下に紹介します。
(8) 国立国会図書館デジタルコレクション
小松茂「近世淀川の水利問題」『水利科学』33号(日本治山治水協会 1963)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3252842 (2020.10.30確認)(国立国会図書館/図書館送信参加館内公開)
コマ番号20(p.34)
(9) 『大阪春秋 通巻69号 おおさかの乗りもの』(大阪春秋社 1992.11)
p.26-31日野照正「近世大坂の川船交通」のp.29に「沢田佐平太渡舟航路図」があります。この図は、資料(6)と同内容のもので、「天保七年申三月「摂津国名所旧蹟細見大絵図」による 『日本科学古典全書. 第12巻 第3部』(三枝博音 編 朝日新聞社 昭和17-21)所収の「「和漢船用集」より」とあります。
(10) 国立国会図書館デジタルコレクション『日本科学古典全書. 第12巻 第3部』(三枝博音/著 朝日新聞社出 版昭和17-21)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1265841 (2020.10.31確認)(国立国会図書館/図書館送信参加館内公開)
コマ番号78-364
p.30(コマ番号98)に「元禄十四年(一七〇一)新たに野田新家から伝法および九条から六軒屋への渡船も命ぜられ、さらに明和五年(一七六八)安治川北三丁から春日出新田、安永三年(一七七四)には春日出新田から南伝法へと事業の拡張を企図したものの元文ころから次第に衰退に向かったようである。」とあります。
(11) 『近世日本の川船研究 -近世河川水運史- 下』(川名 登/著 日本経済評論社 2005.3)
p.650-651「(9)佐平太船」の項があり、「延宝四年に大坂川内の江戸堀、土佐堀より南伝法村、北伝法村、九条村、六軒屋村の四ヶ所への渡船を運上金を納めて大道村の沢田佐平太が請負った。」「元禄十四年の船数は二九艘あったという。」等の記述があります。
(12) 『旭区史』(大阪都市協会/編集 旭区創設五十周年記念事業実施委員会 1983)
p.53-54「平田(へいた)の渡し」の項があり、「清水村には「今市の渡し」があった。渡し場は、清水村の京街道の旧淀川堤防下に当たる大字上ノ辻伊勢地十一番地である。昔の『淀川両岸一覧』に「平太渡口 摂州西成郡平太村より同東成郡今市村へ淀川をわたす舟渡しなり、今市のわたしとも云。平太より大阪へ行程凡二里」とあるのがそれである。」とあります。こちらには沢田家に関する記述は見当たりません。
p.174-176「平田の渡し廃止」の項があり、昭和四十五年三月三日限りで廃止された等の記載があり、p.176には「「平田」の名の由来については、創設のころ、大坂町奉行所から認可を受けて渡船業を手広く営んでいた大道村の土豪沢田佐平太の名からとったものではないかと推定されている。佐平太は奥州の人であったが、文治年間にこの地に移り、慶長年間の大坂の役で家康に味方し、功績があり、その功に対する恩賞の一つとして渡船の特権を得た(東淀川区史から)。」という記述があります。
なお、上記記述に該当する箇所は不明ですが、『淀川両岸一覧』は当館デジタルアーカイブに収載されています。(2020.12.2最終確認)
(13)澱川両岸一覧 (本体書名:澱川両岸一覧 上り船之巻 上)
http://image.oml.city.osaka.lg.jp/archive/detail?cls=ancient&pkey=g0001001
(14) 淀川両岸一覧 (本体書名:淀川両岸一覧 上船之巻 下)
http://image.oml.city.osaka.lg.jp/archive/detail?cls=ancient&pkey=g0003001
(15) 澱川両岸一覧 (本体書名:澱川両岸一覧 下り船の巻 上)
http://image.oml.city.osaka.lg.jp/archive/detail?cls=ancient&pkey=g0002001
(16)澱川両岸一覧 (本体書名:澱川両岸一覧 下り船之巻 下)
http://image.oml.city.osaka.lg.jp/archive/detail?cls=ancient&pkey=g0004001
(17) 『旭区地域史 -旭の今昔-』(旭区の今昔を知る会/編集 大阪市旭区役所 2012.3)
p.90-91「『平太』と『今市』の渡し」があり、沢田佐平太の記述があります。
(18) 『旭区地域史 -大阪市旭区地域史づくりワークショップ- 太子橋編』(旭区の今昔を知る会/編集 大阪市旭区役所区民企画担当 2008.3)
p.7-10「『豊橋大橋』は昔、“平太の渡し”と“今市の渡し”やった!」
p.11-12「平太の渡しの思い出」の項があります。
(19) 『旭区地域史 -大阪市旭区地域史づくりワークショップ- 城北編』(旭区の今昔を知る会/編集 大阪市旭区役所総合企画担当 2010.3)
p.11-13「赤川」の項に、平太の渡しに関する記述があります。
資料(17)から(19)はインターネット上でも公開されています。
(20) 旭区ホームページ「旭区地域史」
https://www.city.osaka.lg.jp/asahi/page/0000174707.html (2020.6.10確認)
「旭区地域史 -概要版-」p.11「豊里大橋と平太の渡し」
「旭区地域史 -詳細版-」p.90-91「『平太』と『今市』の渡し」、p.92-93「豊里大橋・コラム」
(21) 『広報ひがしよどがわ』2012年10月号([大阪市]東淀川区役所区民室/編集 [大阪市]東淀川区役所区民室 2012)
p.4「わがまちの名所旧跡No.29 大澤寺」に「酒井雅楽頭と親しかった太郎左衛門は徳川方に味方し、その恩賞として淀川沿いの16カ所の渡船の権利を受け、12代当主の義浄から沢田左平太を通称として用い、延宝4年(1676年)には堂島川や木津川の渡船の特権も得るなど、大変な富豪になりました。」とあります。
沢田家文書に関しては以下の記述がありました。
(22) 『新修大阪市史 史料編第11巻 近世 6』(大阪市 2018.3)
凡例・目次のp.ⅴ「ニ、掲載資料の特徴(一)村落史料<東淀川区>」に「澤田兼一氏文書は、大道村沢田氏に伝来した文書群である。沢田氏は江口村田中氏と同じく旧来の土豪・在地小領主層であるが、大坂の陣で徳川方に味方した由緒を持つ。」とあります。
(23) 『図説尼崎の歴史 -尼崎市制九〇周年記念- 上巻』(尼崎市立地域研究史料館/編集 尼崎市 2007.1)
p.227「人々の暮らしと文化1(コラム) 側室・澤田すめ」に「兄左平太との間にかわされた書簡が澤田家の古文書(澤田兼一氏文書)に残されています。」とあります。
同じページに「澤田左平太家」の項目があり「大坂三町人のように町政に参画することはありませんでしたが、江戸時代には代々左平太を襲名し、家の存続のために将軍家との由緒を大切にしていました。 〔参考文献〕『大坂再生』(大阪城天守閣、平成一四年)。」とあります。
資料(23)はインターネット上でも公開されています。
(24) Web版「図説 尼崎の歴史」
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/chronicles/visual/03kinsei/kinsei3-c1.html (2020.6.10確認)
(25) ホームページ「尼崎市立地域研究史料館」 古文書・近現代文書類 文書群一覧 尼崎市外(摂津) 仮目録文書群「仮目録文書群概要一覧 摂津 *仮 [PDF]」
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/collections/records/catalogs/settsu.php (2020.10.31)
p.9に「沢田兼一氏文書」について、「館外所在資料」と記述されています。
尼崎市立地域研究史料館に問い合わせしたところ所有者に返還し、現在は大阪城天守閣に寄託されたようだ、とのことでした。
大阪城天守閣に確認すると、同文書は寄託されており、以下の資料に写真と翻刻が掲載されているとのことです。
(26) 『大阪城天守閣紀要 2004年3月 / 32号』(大阪城天守閣/編集 大阪城天守閣 2004.03)
p.5-21 宮本裕次「研究ノート 大坂の陣と周辺村落-地域社会における対立と領主権力-」があり、澤田兼一氏所蔵の史料を借用して執筆されたことが書かれていますが、渡し船についての記述は見つかりませんでした。
(27) 『大坂再生 -徳川幕府の大坂城再築と都市の復興-』(大阪城天守閣/編集 大阪城天守閣特別事業委員会 2002.3)
p.17-19に「大阪・澤田兼一氏蔵」として、「6 中島中起請文写」「7 太郎左衛門・卯右衛門起請文写」「8 大道村惣右衛門等中島中連署訴状写」「11 酒井忠世・土井利勝・安藤重信連署状」「12 松平康重書状」「13 摂州北中島庄屋太郎左衛門訴状」の写真があり、それぞれの解説がp.70-75にありますが、渡し船についての記述は見つかりませんでした。
- 回答プロセス
-
1.商用データベース「JapanKnowledge」にて“澤田家文書”を検索、資料(2)を確認、名前は“沢田左平太”。
2.「おおさかポータル」(http://www.library.pref.osaka.jp/site/osakaportal/ 2020.6.10確認)にて“沢田佐平太”がヒット。“左平太”“佐平太”と表記に揺れがある。『大阪の研究 第5巻』(清文堂出版 1970.1)p.375-404の記述を確認するが、川船の特権という記述のみ。
3.当館所蔵検索をフリーワード“淀川”ד水運”や件名“河川運送-歴史”で検索、資料(11)を見つける。
4.大阪関係資料目次検索(内部資料)で“平田の渡”を検索、資料(12)を見つける。旭区関係の資料(13)~(20)を確認。
5.資料(12)が参照している『東淀川区史』を確認するが、該当箇所見つからず。『東淀川区史』では澤田家について『大阪府全志』より引用している。資料(1)を確認。
6.「大阪春秋総目次・索引」(http://osaka-web-museum.na.coocan.jp/index-top-shunjyu.htm 2020.6.10確認)で淀川に関するものを検索、資料(9)(10)を見つける。
7.Googleブックス(https://books.google.co.jp/ 2020.6.10確認)“沢田左(佐)平太”で検索、資料(6)(7)を確認。また、資料(7)の出典である資料(8)を確認。
8.「新修大阪市史」「大阪市史」索引“沢田左(佐)平太”を確認。資料(3)(4)を見つける。
9.「新修大阪市史史料編」「大阪市史史料」を確認、資料(5)(22)を見つける。
10.サーチエンジン「Google」で“沢田左(佐)平太”を検索、資料(21)を見つける。
11.大阪市史編纂所で『澤田兼一氏所蔵文書目録』(内部資料)を見せてもらう。目録を見ると、伝法渡船として複数の資料があるので、おそらくそこに含まれているものと考えられる。尼崎資料館が写真版を持っているらしい。尼崎市のサイトを確認、(23)~(25)を見つける。
12.尼崎市立地域研究史料館に澤田家文書の所蔵について問い合わせたところ、すでに所有者に返還し、現在は大阪城天守閣で寄託されているとのこと。
13.大阪城天守閣に問い合わせ、当該史料の寄託を確認。閲覧は箇所をご指定いただき、その上での閲覧可否の判断となる。まずは(26)・(27)をご案内くださいとのこと。
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 9版)
- 内陸水運.運河交通 (684 9版)
- 参考資料
-
- 当館書誌ID <0010176189> 日本歴史地名大系 28-[1] 大阪府の地名 1 平凡社 2001.7 資料(2)
- 当館書誌ID <0000479621> 船極印方(大阪市史史料 第34輯) 大阪市史料調査会 1991 資料(5)
- 当館書誌ID <0000253666> 大阪の生産と交通(毎日放送文化双書 4) 小林 茂/著 毎日放送 1973 資料(6)
- 当館書誌ID <0000176796> 畿内河川交通史研究 日野 照正/著 吉川弘文館 1986.10 9784642032735 資料(7)
- 当館書誌ID <0000285922> 大阪春秋 通巻69号 おおさかの乗りもの 大阪春秋社 1992.11 資料(9)
- 当館書誌ID <0010954319> 近世日本の川船研究 -近世河川水運史- 下 川名 登/著 日本経済評論社 2005.3 9784818817067 資料(11)
- 当館書誌ID <0070035195> 旭区史 大阪都市協会/編集 旭区創設五十周年記念事業実施委員会 1983 資料(12)
- 当館書誌ID <0012556641> 旭区地域史 -旭の今昔- 旭区の今昔を知る会/編集 大阪市旭区役所 2012.3 資料(17)
- 当館書誌ID <0011997623> 旭区地域史 -大阪市旭区地域史づくりワークショップ- 太子橋編 旭区の今昔を知る会/編集 大阪市旭区役所区民企画担当 2008.3 資料(18)
- 当館書誌ID <0012272928> 旭区地域史 -大阪市旭区地域史づくりワークショップ- 城北編 旭区の今昔を知る会/編集 大阪市旭区役所総合企画担当 2010.3 資料(19)
- 当館書誌ID <5200000981> [雑誌製本] 広報ひがしよどがわ 2001年1月-2006年12月号 / 55号-126号 [大阪市]東淀川区役所区民室/編集 [大阪市]東淀川区役所区民室 2001.01-2006.12 資料(21)
- 当館書誌ID <0014479933> 新修大阪市史 史料編第11巻 近世 6 大阪市 2018.3 資料(22)
- 当館書誌ID <0011403807> 図説尼崎の歴史 -尼崎市制九〇周年記念- 上巻 尼崎市立地域研究史料館/編集 尼崎市 2007.1 資料(23)
- 当館書誌ID <5110782678> [雑誌巻号] 大阪城天守閣紀要 2004年3月 / 32号 大阪城天守閣/編集 大阪城天守閣 2004.03 資料(26)
- 当館書誌ID <0010313933> 大坂再生 -徳川幕府の大坂城再築と都市の復興- 大阪城天守閣/編集 大阪城天守閣特別事業委員会 2002.3 資料(27)
- 小松茂「近世淀川の水利問題」『水利科学』33号(日本治山治水協会 1963) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3252842 (2020.6.10確認) 資料(8)
- 『日本科学古典全書. 第12巻 第3部』(三枝博音/著 朝日新聞社出 版昭和17-21) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1265841 (2020.6.10確認) 資料(10)
- 澱川両岸一覧 (本体書名:澱川両岸一覧 下り船の巻 上) http://image.oml.city.osaka.lg.jp/archive/detail?cls=ancient&pkey=g0002001 (2020.12.2確認) 資料(15)
- 淀川両岸一覧 (本体書名:淀川両岸一覧 上船之巻 下) http://image.oml.city.osaka.lg.jp/archive/detail?cls=ancient&pkey=g0003001 (2020.12.2確認) 資料(14)
- 澱川両岸一覧 (本体書名:澱川両岸一覧 上り船之巻 上) http://image.oml.city.osaka.lg.jp/archive/detail?cls=ancient&pkey=g0001001 (2020.12.2確認) 資料(13)
- 澱川両岸一覧 (本体書名:澱川両岸一覧 下り船之巻 下) http://image.oml.city.osaka.lg.jp/archive/detail?cls=ancient&pkey=g0004001 (2020.12.2確認) 資料(16)
- 旭区ホームページ「旭区地域史」 https://www.city.osaka.lg.jp/asahi/page/0000174707.html (2020.6.10確認) 資料(20)
- Web版「図説 尼崎の歴史」 http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/chronicles/visual/03kinsei/kinsei3-c1.html (2020.6.10確認) 資料(24)
- ホームページ尼崎市立地域研究史料館「仮目録文書群概要一覧 摂津 *仮 [PDF]」 http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/collections/records/catalogs/settsu.php (2020.6.10確認) 資料(25)
- 『大阪府全志. 巻之3』(大阪府全志発行所 大正11) https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/965800 (2020.10.31確認) 資料(1)
- 『大阪市史. 第1巻』(大阪市参事会 明治44-大正4) https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/980475 (2020.10.31確認) 資料(3)
- 『大阪市史. 第5巻』(大阪市参事会 明治44-大正4) https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1939660 (2020.10.31確認) 資料(4)
- キーワード
-
- 渡船
- 淀川
- 平田の渡し
- 沢田左平太
- 沢田佐平太
- 照会先
-
- 大阪市史編纂所 https://www.oml.city.osaka.lg.jp/index.php?page_id=871 (2020.12.12確認)
- 尼崎市立歴史博物館 http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/museum (2020.12.12確認) ※尼崎市立地域資料館は、令和2年(2020)10月10日をもって尼崎市立歴史博物館に統合となり、同館の史料担当(あまがさきアーカイブズ)となりました。
- 大阪城天守閣 https://www.osakacastle.net (2020.12.12)
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000271280