レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年12月23日
- 登録日時
- 2019/12/23 14:49
- 更新日時
- 2020/01/12 09:45
- 管理番号
- 173
- 質問
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解決
高度経済成長期に尼崎市東難波(なにわ)町の大阪ガス尼崎工場内に造られ、市政シンボルマークが描かれ尼崎市のシンボル的存在であったガスタンクは、いつ取り壊されたのか。
- 回答
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大阪瓦斯(ガス)尼崎工場の前身は、明治45年(1912)5月に尼崎町別所字北鳥島(現尼崎市東難波町5丁目)に設立された尼崎瓦斯です。大正9年(1920)に神戸瓦斯の系列下に入り、昭和20年(1945)4月に神戸瓦斯とともに大阪瓦斯に合併され、同社の営業所となりました。
大阪瓦斯尼崎工場は、同社酉島(とりしま)工場(大阪市)で製造されたガスを専用の輸送管によって受け入れ、昭和21年2月にガスの製造を休止しますが、昭和32年7月に尼崎コークス工業(後の関西熱化学)との間に「コークス炉ガスの継続的需給に関する基本的契約」を交わし、同年11月よりコークス炉ガスを原料とするガス製造を再開しました。
これにともない、尼崎工場では大型のガスタンクが必要となり、昭和35年に10万立方メートルのタンクが完成します。昭和35年7月7日の朝日新聞阪神版によると、その容量は2,000世帯が1か月間に使うガス量にあたるとされています。タンクは当時最新の無水式と呼ばれる一体構造のもので、正20角形の筒形をしており、高さは約80メートル、直径は約45メートルで、完成当時市内で最も高い建造物でした。遠くからも良く見えるため、工都尼崎のシンボルとして親しまれる一方、中心市街地にあることから美観上問題とする声もありました。このため、(社)尼崎青年会議所の提言により、昭和54年に市政シンボルマークをあしらった緑色の2トーンカラーに塗り替えられました。
その後、石油系ガスから天然ガスへの転換によって設備の統廃合が進められるなか、尼崎工場は平成2年(1990)3月にガスの製造を停止し、平成6年にはガスタンクと製造設備が撤去されました。
- 回答プロセス
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1 大阪ガス尼崎工場について記す参考文献
◆『大阪ガスこの10年』(大阪ガス,1996)
p114~115「製造ガス設備の停止」の項目に尼崎工場についての記述がある。
◆『大阪ガス100年史』(大阪ガス,2005)
2 ガスタンクの完成について記す新聞記事
◆朝日新聞阪神版昭和35年(1960)7月7日付記事「尼崎で一番ノッポ、来月完成のガスタンク」
3 ガスタンクの解体について記す新聞記事
◆神戸新聞阪神版平成5年(1993)12月30日付記事「工都尼崎のシンボル消える」
平成6年1月16日からタンクを解体する予定とある。
◆朝日新聞阪神版平成6年(1994)5月26日付記事「大阪ガス旧尼崎工場、ガスタンクのだるま落とし」
「カットダウン工法」による工事の進捗を報じている。
- 事前調査事項
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なし
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 燃料.爆発物 (575 9版)
- 参考資料
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大阪ガスこの10年 : ひと・まち・地球のよりよい暮らし 1986-1995. 大阪ガス, 1996.6
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I052612748-00 (当館請求記号 575.6/S/オ) -
大阪ガス100年史. 大阪ガス, 2005.10
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I088163730-00 (当館請求記号 575.6/S/オ) - 「尼崎で一番ノッポ、来月完成のガスタンク」朝日新聞. 阪神版, 1960.7.7
- 「工都尼崎のシンボル消える」神戸新聞. 阪神版, 1993.12.30
- 「大阪ガス旧尼崎工場、ガスタンクのだるま落とし」朝日新聞. 阪神版, 1994.5.26
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大阪ガスこの10年 : ひと・まち・地球のよりよい暮らし 1986-1995. 大阪ガス, 1996.6
- キーワード
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- 大阪ガス尼崎工場
- ガスタンク
- ガスホルダー
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000271185