レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 県立長野図書館 (2110021) | 管理番号 (Control number) | 県立長野-19-039 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
事例作成日 (Creation date) | 2019年08月23日 | 登録日時 (Registration date) | 2019年10月03日 18時12分 | 更新日時 (Last update) | 2020年07月30日 14時28分 | ||||||
質問 (Question) | 県道188号の旧路線について知りたい。かつては、茅野から佐久へ夏沢峠を越えていたと思う。現在は茅野市内で終わっているので、佐久側が県道から降格されたなら理由を知りたい。 | ||||||||||
回答 (Answer) | 夏沢峠を佐久側へ越える県道について、県道から降格された理由についての記録は確認できなかった。また、路線を示した地図も確認できなかったため、佐久側の道を確定することもできなかった。 県道188号の維持、管理を担当している諏訪建設事務所維持管理課管理係へ問い合わせたところ、付け替え、改廃等の経過について、次のことがわかった。 現在の県道188号線の路線名 「上槻木矢ヶ崎線」 認定年月日 昭和34年8月1日(長野県公示486号) 路線の来歴 「北牧上諏訪線」 認定 大正12年4月1日 「上槻木茅野停車場線」 認定 昭和10年11月14日 これによれば、昭和10年以降、県道188号線は、起点から終点まで茅野市内となっているようだ。 大正12年認定の「北牧上諏訪線」について、佐久建設事務所維持管理課、および小海町役場産業建設課へ照会したが、昭和30年ごろより古い道路台帳は確認できないとのことだった。 なお、『小海町志 近・現代編』小海町教育委員会編 小海町志編集委員会 1997 【N223/20/4】p.212 「稲子湯」に、 稲子湯の開発者原田源吉は諏訪郡神原村の人、(-中略-)八ヶ岳を越えて諏訪より佐久に至る山道 を開こうとして苦闘したが、その間に本沢温泉(南牧村)を開き、慶応四、明治元年(一八六八)稲 子村奥地官林内に湧出する鉱泉(渋鉱泉・稲子岳鉱泉)を発見し、同七年にこれを開発した。(後 略) とあり、これが現在も使われている夏沢峠の登山道と思われる。 また、「交通の改革」のp.48に、 川西の稲子道は無等道路で、東は海尻村境、豊里村境より西は諏訪郡泉野に達するもので、道幅 八尺とある。 との記述もあった。ただし、県道認定されていたことが認められる記述ではない。この記述中の「稲子道」について、小海町役場産業建設課に問い合わせたが、現在の道で「稲子道」と確定できる情報はなく、「稲子道」の名称も残っていないようだった。推測できる道はあるが確定はできない様子だった。 『小海町志 近・現代編』の記述が出典としている『長野県町村誌 東信編(復刻版)』 名著出版 1973 (長野県編 1936の復刻) 【N290/33a/2】を確認すると、p.2665-2668にある稲子村(北牧村)の中のp.2667の「隣村道」に 無等道路に属す。東の方海尻村境より、西の方海尻村境に至る。長六十五町、幅七尺。諏訪郡泉野 村へ達する路線なり。字森下にて東に折れ支道あり、豊里村に達す。長二十間、幅八尺。 という記述があった。 登山ガイド等で確認すると、夏沢峠を越える道自体は、現在も登山道で自動車は入れないように見受けられる。 なお、『長野県交通地図』東京日々新聞 1925 【N293/30】に、県道188号の記載は無く起点も終点も不明であるが、槻ノ木、上槻ノ木、夏沢峠、本沢温泉、稲子、松原、八那池を通る道を見ることができる。 | ||||||||||
回答プロセス (Answering process) | 1 現在の県道188号線の路線図を確認するため、『長野県道路地図』4版 昭文社 2017(県別マップル20)【291.52/ナガ/'17】を見る。また、夏沢峠を通る自動車道は確認できない。林道もしくは登山道と思しき峠道を確認する。 2 長野県建設部が出版している『道路概況』で路線名を確認する。「上槻木矢ヶ崎線」。現在は起点終点ともに茅野市内で、佐久方面へ抜けていないことを確認する。 3 郷土分類N514(道路)及びN685(交通)関係の資料を見るが、詳しいことは分からない。 4 県道188号を管理している諏訪建設事務所に照会すると、大正12年4月に「北牧上諏訪線」、その後昭和10年11月に「上槻木茅野停車場線」となったことが分かった。大正12年から昭和10年の間、茅野市を通って佐久の北牧村へ向かう県道があったことがわかった。 5 旧北牧村(現・小海町)の誌史が確認できなかったため、『小海町志 近・現代編』を確認する。原田源吉が夏沢峠の道を開削したことがわかった。また、諏訪に抜ける道についても触れられていた。ただし、地図などは付されていない。 6 「北牧上諏訪線」の終点である旧北牧村がある小海町役場産業建設課へ照会する。 7 大正14年(1925年)出版の『長野県交通地図』を発見する。188号の記載もないため確証は得られないが、比較的主要な道路としての記載がされているため、こちらも紹介する。 <調査済み資料> ・『道路概況(平成29年4月1日現在)』 長野県建設部 [2018] 【N514/33/’17】 ・『長野県の道路 2018』 長野県建設部編・刊 2018 【N685/8/’18】 ・『長野県の道路 1985』 長野県土木部編 長野県 1985 【N685/8/’85】 ・『長野県の道路 1968』 長野県土木部編 長野県 1968 【N685/8/1】 ・『道路台帳の手引き 昭和52年』 長野県土木部編 長野県 1977 【N514/23】 ・『長野県史 近代資料編 第7巻交通・通信』 長野県編 長野県史刊行会 1981 【N209/11-1/7】 ・『南牧村誌』 南牧村史編纂委員会編・刊 1986 【N223/64】 ・『南佐久郡誌(復刻版)』 千秋社 1997 (南佐久郡役所 大正8年の復刻)【N223/90】 ・『信州の山 中部下巻』 宮坂七郎著 信毎書籍出版センター 2018 【N292/543a/3-2】 | ||||||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | |||||||||||
NDC |
| ||||||||||
参考資料 (Reference materials) |
| ||||||||||
キーワード (Keywords) |
| ||||||||||
照会先 (Institution or person inquired for advice) |
| ||||||||||
寄与者 (Contributor) | |||||||||||
備考 (Notes) | |||||||||||
調査種別 (Type of search) | 事実調査 | 内容種別 (Type of subject) | 郷土 | 質問者区分 (Category of questioner) | 図書館 | ||||||
登録番号 (Registration number) | 1000262294 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |