レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年04月05日
- 登録日時
- 2019/06/05 13:55
- 更新日時
- 2019/06/05 13:57
- 管理番号
- 相橋-R1-006
- 質問
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解決
プリクラができたのはいつか。
- 回答
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1995年の7月と伝えた。
- 回答プロセス
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レファレンスや書庫の棚をブラウジングした結果、次の資料を見つけた。
①『情報・知識imidas 1997』 集英社 1996 (自館請求記号:R813.7)
P1330に「プリクラ(プリント倶楽部)」の項があり、「95年7月の発売以来、女子高生を中心に爆発的な人気を獲得、…」という記述がある。
②『1990年大百科』 レッカ社/編 宝島社 2000 (自館請求記号:R210.7)
プリクラ等に関する記載はなかった。
自館OPACでキーワード“プリクラ”または“プリント倶楽部”で検索した結果、次の資料が見つかった。
③『ストリートファッションの時代』 渡辺明日香/著 明現社 2005 (自館請求記号:383.1)
P275-286に「5章 1990年代以降の世代とファッション」という章があり、プリクラに関する記述があるが、具体的にいつできたかという記述はなかった。
④『ゲームセンター文化論』 加藤裕康/著 新泉社 2011 (自館請求記号:361.5)
P271に「一九九〇年代後半、女子中高生を中心に日常的に写真を撮影する行為が流行した。一九九五年には『プリント倶楽部』(アトラス)が登場し、撮影機の前には行列ができた。」という記述がある
また、P310に「一九九〇年の大店舗法の緩和によるゲームセンターの大型化は、次第に明るいイメージを醸成していったが、とくに一九九五年のプリクラ(自画像シール)の登場は、女性客の獲得に大きな役割を果たした。」という記述がある。
Tooli(https://tooli.trc.co.jp/ 2019/04/05 最終確認)でキーワード“プリクラ”または“プリント倶楽部”で検索した結果、次の資料が見つかった。
⑤『国産はじめて物語』 レトロ商品研究所/編 ナナ・コーポレート・コミュニケーション 2003 (自館請求記号:509.21)
P243-245に「世界初の自動シール印刷機「プリント倶楽部」」の章があり、P244に「ゲームソフトメーカーの㈱アトラスに勤めていた佐々木は、… 開発スタッフと一緒に試作機を完成させたのが、平成7(1995)年明け。2月に出展した幕張ゲームショーでは試作品ながら好評を博し、セガ・エンタープライゼズ社と共に開発を進めて、同年7月の発売に至った。」という記述がある。
⑥『写真のなかの「わたし」』 鳥原学/著 筑摩書房 2016 (自館請求記号:YA740)
P180に「最初のプリクラであるアトラス社製の「プリント倶楽部」が、渋谷のアミューズメント施設に登場したのは一九九五年。」という記述がある。
資料①④⑤⑥から、プリクラができたのは、1995年であることが分かった。
さらに、資料①⑤から、プリクラができたのは、1995年7月であることが分かった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 工業.工業経済 (509)
- 写真 (740)
- 参考資料
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- 『情報・知識Imidas 1997』 集英社 1996
- 『ゲームセンター文化論』 加藤裕康/著 新泉社 2011
- 『国産はじめて物語』 レトロ商品研究所/編 ナナ・コーポレート・コミュニケーション 2003
- 『写真のなかの「わたし」』 鳥原学/著 筑摩書房 2016
- キーワード
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- プリクラ
- プリント倶楽部
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 団体
- 登録番号
- 1000256961