レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019/1/23
- 登録日時
- 2019/03/21 00:30
- 更新日時
- 2023/12/26 00:30
- 提供館
- 金沢市図書館 (2310230)
- 管理番号
- 玉川-000726
- 質問
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解決
【関沢明清の生没年月日について】 関沢明清の生年月日について、天保14年2月12日と記しているものと、2月17日と記しているものがあるが、いずれが正しいのか。
- 回答
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〇質問者による事前調査事項
以下の資料では2月17日説をとっている。
『国史大辞典 第8巻』(11089585)p.289-290
『講談社日本人名大辞典』(112321755)p.1037
『放送大学教育開発センター研究紀要 12号』(放送大学機関リポジトリでPDF公開)
一方で、アジ歴公開の以下の史料では2月12日と記されている。
「元総領事兼外交事務官正木退蔵外九名特旨進階ノ件」
「正六位勲四等関沢明清特旨進階ノ件」(以上2点は国立公文書館所蔵)
明清は天保の生まれになるので、戸籍台帳のようなものは作成されていない。当館近世史料館に「先祖由緒并一類附帳」(藩士の履歴を書き上げた由緒帳)の明清のものがあるが、生年のみ記載されている。
その他、国立国会図書館のデジタルコレクション(図書館送信限定)で以下の資料を確認した。
『水産同窓会誌』(2)』(明治32刊)
「日本水功伝(16)」(『水産界』723)(昭和18刊)
『日本漁民伝 中』(昭和39刊)
上記では、2/17生まれの1/9没と書かれている。『水産同窓会誌』(2)』では墓碑を引用されており、そこに上記の生没年が記されている。
当館の郷土資料も以下のように2/17生1/9没という見解をとるものが多い。
「関沢明清事蹟」(近世史料館、大日本水産会報の写)※生年のみ、没年1/9
「関沢明清君碑銘」(近世史料館)
『関沢明清先生略伝』(近世史料館)
『風雪の碑』(118412418)p.139
『金沢の百年 年表 明治編』(119572256)p.123
『かなざわ偉人物語 7』(109099580)p.21
『関沢明清』(113252278)(『鮭と鯨と日本人』(119478503)の復刊、巻末の略年譜に記載)p.295
『金沢市教育史稿』(118290979)p.521では天保14年5月生まれの明治30年1月9日没となっている。5月生まれの典拠は不明。
2/12生まれとしている資料は事前調査の史料以外に確認できず。
なお、没年についても1/9以外の見解がある。
『朝日新聞 明治編 46 明治30年1月』(112567067)(復刻版)p.52では、1/8付記事に明清の逝去記事があり、「(前略)一昨日を以て不帰の客となれり」と記されている。
地元紙である「北國新聞」(マイクロフィルム)には、1/11付記事に「去一日午後八時三十分急病を獲て房州館山の寓居に於て卒然逝去したりといふ」とある。
『国民過去帳 明治之巻』(国会図書館デジタルコレクション)においても、6日死去と記載(生年に月日の記載はない)。
『海を越えた日本人名事典』(112742800)p.384~385にも6日死去と記載されている。
「官報」によると、明清は明治30年1月7日に従五位に叙されていることが確認される。
『実業人傑伝 第4巻』(国会図書館デジタルコレクション)は生年のみ。
『幕末明治海外渡航者総覧 第一巻』(118292641)は生没年のみ。
以下記載なし。
『海を渡ったサムライたち』(109130804)
『もっと知りたい 金沢ふるさと偉人館』(109169040)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000253366