レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20190201
- 登録日時
- 2019/03/08 00:30
- 更新日時
- 2019/03/08 00:30
- 管理番号
- 0400000093
- 質問
-
解決
茨木市にある東奈良遺跡について知りたい。
- 回答
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『東奈良遺跡発掘調査概要 茨木市東奈良・沢良宜町所在』(大阪府教育委員会 1976)
昭和50年2月3日から昭和51年3月31日にかけて、大阪府教育委員会が国庫補助事業として実施した東奈良遺跡発掘調査概要報告書である。
『東奈良[図版]』(東奈良遺跡調査会/著 東奈良遺跡調査会 1976)
東奈良遺跡調査に係る図版(20枚)が掲載されている。
『東奈良[概要報告書]』(東奈良遺跡調査会/著 東奈良遺跡調査会 1976)
東奈良遺跡の調査で出土した銅鐸をはじめとする鋳造に関連する遺物についての概要報告書である。
昭和48年11月から昭和49年10月末にかけて、小堀住研株式会社の委託により東奈良遺跡調査会が調査を実施した。
『東奈良遺跡発掘調査概報 1 本文編』(東奈良遺跡調査会 1979)
阪急電鉄南茨木駅周辺の住宅開発事業等に伴い、昭和46年7月から昭和48年8月まで実施した発掘調査の概要である。
『東奈良遺跡発掘調査概報 1 図録編』(東奈良遺跡調査会 1979)
東奈良遺跡調査に係る遺構及び出土品の図録である。
『東奈良遺跡調査概報 1 附図 10枚』(東奈良遺跡調査会 1979)
東奈良遺跡調査に係る図版1・2・75・76・77・81・82・83・90及び東奈良遺跡出土土師器編年図表である。計10枚。
『茨木の史跡』(茨木市教育委員会/編 茨木市教育委員会 1981) P8-11
P8-11に、東奈良遺跡の概要が掲載されている。
上記以外に、『茨木の史跡第3版(120088768)P8掲載』『茨木の史跡 平成10年(520065075)P6掲載』もある。
『日本の遺跡発掘物語 4 弥生時代2(西日本)』(社会思想社 1984) P33-58
弥生時代の西日本の遺跡等について掲載されている。その一つとして、東奈良遺跡が掲載されており、東奈良遺跡周辺の環境、当時の状況、出土品等がまとめられている。
東奈良遺跡の執筆は、樋口幸雄氏である。
『東奈良遺跡発掘調査概要』(茨木市教育委員会/編 茨木市教育委員会 1988)
昭和61・62年度大阪府北部特定事業建設事務所の依頼により行った大阪モノレール事業に発掘調査概要である。調査の結果、弥生時代後期から古墳時代初頭にかけて人々が生活していたという痕跡が認められる。
『東奈良遺跡』(大阪府埋蔵文化財協会 1995)
大阪府埋蔵文化財協会調査報告書 第92輯。
1993年11月11日から1994年3月25日にかけて調査を実施した、大阪府営茨木東奈良住宅に所在する東奈良遺跡の発掘調査報告書である。
『郷土茨木 四訂版』(茨木市教育委員会/編 1995) P4
P4に、東奈良遺跡の概要が掲載されている。
『東奈良遺跡』(大阪府文化財調査研究センター 1998)
大阪府文化財調査研究センター調査報告書第32集。
サブタイトル1:茨木市東奈良1丁目府営茨木東奈良住宅建替に伴う発掘調査報告書1996年度・1997年度
サブタイトル2:弥生時代集落跡と中世水田跡の調査
東奈良に所在する府営東奈良住宅の建て替えに伴う埋蔵文化財発掘調査報告書である。
『東奈良-東奈良土地区画整理事業に伴う発掘調査概要報告-』(茨木市教育委員会 2003)
平成10年12月22日から平成12年3月31日にかけて調査を実施した、東奈良二・三丁目、若草町の一部における区画整理事業を行う範囲のうち、都市計画道路及び区画道路部分の約6,600平方メートルの発掘調査概要報告である。
『歴史発掘おおさか 2014 大阪府発掘調査最新情報』(大阪府立近つ飛鳥博物館/編 大阪府立近つ飛鳥博物館 2015)
東奈良遺跡の概要が、弥生時代欄と中世欄に掲載されている。
『発掘された日本列島 2015 新発見考古速報』(文化庁/編 共同通信社 2015) P16-17
P16-17に、文化庁主催の「発掘された日本列島2015」展で東奈良遺跡が取り上げられており、関連本にその概要が掲載されている。
『東奈良遺跡出土の絵画土器 他』(奥井 哲秀/著 茨木市教育委員会/編 茨木市)
考古学雑誌第66号第1号(昭和55年6月)掲載。東奈良遺跡の概要及び出土品等が掲載されている。
『新修茨木市史 第1巻 通史1』(茨木市史編さん委員会/編 茨木市史編さん委員会 2012)P164-166 P249-250 P252-255 P259-299 P283-299 P300-327 P328-348
出土品や花粉等からわかる時代背景、集落、当時の技術(農業や金属加工等)が紹介されいる。
P164-166 「東奈良遺跡 縄文~鎌倉時代」花粉分析結果を使っての、植生の変遷が掲載されている。
P249-250 弥生時代に東奈良遺跡で水田稲作農耕が始まっていたことについて簡単な記載あり。
P252-255 昭和46年の発掘当時のことについて記載あり。
P259-282 「弥生時代の農具と工具の発達」「弥生人の肖像」は、東奈良遺跡を中心に記述されている。
P283-299 「環濠集落東奈良遺跡」の項
P300-327 「東奈良遺跡の銅鐸作り」の項(P300-301に「銅鐸鋳型発見記」のコラムあり。)
P328-348 「方形周溝墓の世界」「弥生時代後期の変動」は、東奈良遺跡を中心に記述されている。
『新修茨木市史 第7巻 史料編 考古』(茨木市史編さん委員会/編 茨木市史編さん委員会 2014)P112-183 P249-250 口絵
P112-183 東奈良遺跡の弥生時代の様子や、出土品について。実測図や白黒写真も多数あり。
P249-250 東奈良遺跡の古墳時代の出土品について。実測図あり。
口絵2-11 絵21-22 絵25-35 絵38 絵40には、東奈良遺跡の出土品のカラー写真が掲載されている。
『新修茨木市史 第10巻 別編 民俗』(茨木市史編さん委員会/編 茨木市史編さん委員会 2005) P559-562
P559-562に、茨木市の金属加工について書かれている項で、「東奈良は当時の青銅器鋳造の技術者集団居住地と判明した」との記載あり。
『月刊文化財 昭和50年6月号(東奈良遺跡出土の銅鐸鋳型)』(文化庁文化財保護部/監修
東奈良遺跡調査会/編 第一法規出版 1975) P10-20
P10-20に、東奈良遺跡で出土した銅鐸鋳型について掲載されている。
『わ 創立十周年記念誌』(『わ 創立十周年記念誌』 1990) P61-68
東奈良小学校創立10周年記念誌。
小学校区の特徴として、『東奈良遺跡と銅鐸』がまとめられている。
インターネット情報
「銅鐸の鋳型 (茨木市の携帯HP)」
http://www.city.ibaraki.osaka.jp/mobile/kikou/kyouikusoumu/syakaikyoiku/dotakuigata.html
東奈良遺跡の概要(2019年2月確認)
インターネット情報
「東奈良遺跡(ひがしならいせき) (大阪府のHP)
東奈良遺跡の概要(2019年2月確認)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 歴史補助学 (202 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 東奈良遺跡
- 歴史
- 遺跡・史跡・文化財
- 茨木市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 全国遺跡報告総覧(奈良文化財研究所)でも一部の東奈良遺跡の報告書がダウンロードできる。(2019年2月確認) 文部科学省『発掘された日本列島2015』で取り上げられ、YouTube(https://www.youtube.com/watch?v=Vd_BcX4AQaA)が掲載されている。(2019年2月確認)
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000252764