レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018/8/7
- 登録日時
- 2018/08/08 09:38
- 更新日時
- 2019/01/11 16:56
- 管理番号
- 928
- 質問
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江戸時代(後期)に、京都の寺院で拝観料を徴収していたかどうかがわかる資料はあるか。
- 回答
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【 】内は当館の資料コード
<資料1>『幕末・明治京都名所案内』(宇治市歴史資料館 編 , 宇治市歴史資料館, 2004)【1107122564】には、以下の寺院について案内料・拝観料などの記載あり。
(p.12-13)西本願寺 「残らず拝見して案内料二匁ずつ」(出典:天保10・1839年『たびまくら』)
(p.24-25)高台寺 「一朱の拝見料が必要であった」(出典:天保6・1835年『筆満可勢』)
(p.34-35)銀閣寺 「銀二匁で案内の者が座敷を見せてくれる」(出典:文化10・1813年『海陸道順達日記』)
(p.44-45)金閣寺 「拝見料二〇〇文を出して」(出典:天保10・1839年『たびまくら』)
上記<資料1>の引用文献に<資料2>『史料京都見聞記』(駒 敏郎/[ほか]編集 , 法蔵館, 1991) 1巻~5巻【1100332319他】が多く使用されているため、当時の紀行文・旅行記等をまとめて見るのに適しているのではないか、と紹介。
ただし、拝観料について触れている史料がどれか、どの寺院について拝観料の情報が記載されているかなどは索引では調べられない。
上に挙げた『たびまくら』等の拝観料記述のある文章から見られてはどうか、と案内。
(『たびまくら』『筆満可勢』は第3巻【1100332335】に所収あり。『海陸道順達日記』([笹井 秀山/著]佐藤 利夫/編,法政大学出版局, 1991【1101668976】も当館所蔵あり。)
その他、当時の名所案内記などが収録された<資料3>『新修京都叢書』についても案内した。
こちらについても、どの資料に拝観料等の情報が記されているか、あるいはまったく載っていないか、などはわからないとお伝え。
また、一般的に(京都に限らず)「開帳銭」として徴収されていたということは、辞典類でわかる。
Japan Knowledgeより『日本国語大辞典』の「開帳銭」には、「寺院で開帳があるとき、拝観にあたって奉納する金銭。開帳仏の拝観料」とあり、1451年、1757年の用例が挙げられている。
<資料4>『古都税の証言 京都の寺院拝観をめぐる問題』(京都仏教会/編, 丸善プラネット, 2017)【110705025】
には「定額の拝観料を納めて寺院に拝観することが一般化したのは明治以降である」(p174)ともある。
- 回答プロセス
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1階京都コーナーで直接探索。
<資料1>『幕末・明治京都名所案内』で、数件の寺院について拝観料についての記載を確認。
引用文献や参考文献の一覧があり、そこから<資料2>『史料京都見聞記』を紹介。
質問者があらかじめ調べていた史料も収録されていた。
当館検索システムで「拝観料」をキーワードとして検索するが、有効な資料はなし。
NDLサーチで「拝観料」で検索。→Japan Knowledge情報で「拝観料」「開帳銭」(いずれも『日本国語大辞典』の情報)がヒット。
『国史大辞典 3』【1100356789】には「開帳」の項目あり。「次第に社寺の修造費・経営費を得るためのものに変わっていった」と、金銭を徴収するために開帳していたことがうかがえる。
また、<資料4>については、古都税(古都保存協力税、1985~1988に京都で実施)に関する資料で、古い寺社の拝観料について言及されていないか、と見当をつけて検索。
- 事前調査事項
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質問者は『江漢西遊記』『羇旅慢録』等を既に見たとのこと。金閣寺で払ったという記載があった。(どちらの資料かは不明)
(『江漢西遊記』『羇旅慢録』は<資料2>『史料京都見聞記』第2巻【1100332327】に所収あり。)
- NDC
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- 寺院.僧職 (185 9版)
- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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<資料1>宇治市歴史資料館 編 , 宇治市歴史資料館. 幕末・明治京都名所案内 : 旅のみやげは社寺境内図. 宇治市歴史資料館, 2004.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007553967-00 -
<資料2>駒敏郎 [ほか]編 , 駒, 敏郎, 1925-2005. 史料京都見聞記 第1巻 (紀行 1). 法蔵館, 1991.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002140510-00 , ISBN 4831837113 ((1~5巻)) -
<資料3>野間/光辰 編 , 新修京都叢書刊行会 編著 , 野間/光辰 , 新修京都叢書刊行会 , [中川/喜雲 , [浅井/了意. 新修京都叢書 第1巻. 臨川書店, 1967.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I056725021-00 , ISBN 4653025975 ((1~25巻)) -
<資料4>京都仏教会 編 , 京都仏教会. 古都税の証言 : 京都の寺院拝観をめぐる問題. 丸善プラネット, 2017.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I027821233-00 , ISBN 9784863453159 -
<資料5>清水寺史編纂委員会 編 , 清水寺 (京都市). 清水寺史 第2巻 (通史 下). 音羽山清水寺, 1997.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002829415-00 , ISBN 4831875147
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<資料1>宇治市歴史資料館 編 , 宇治市歴史資料館. 幕末・明治京都名所案内 : 旅のみやげは社寺境内図. 宇治市歴史資料館, 2004.
- キーワード
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- 寺院
- 拝観料
- 開帳銭
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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後日、<資料5>『清水寺史 第2巻』(清水寺史編纂委員会/編修,音羽山清水寺,1997)【1106106048】の「拝観の寸志」の項につぎの記述を確認した。
(p.330)「社寺が拝観に際して、志納金の額を定めて徴収するようになるのは、近代に入ってからのことであるが、他の寺院では、例えば金閣寺のように、早い時代から紹介のある人を案内して、志納金を受けるところもあった(『隔冥記』)。しかし江戸時代も後期になると、その額も一定するようになっていたらしく、寛政元年(一七八九)に金閣寺を訪れた司馬江漢は、金閣の三階まで登り、一〇人で銀二匁を出している(『江漢西遊日記』)。このことは享和二年(一八〇二)に上洛した滝沢馬琴も『羇旅慢録』に「金閣拝見の者、一人より十人まで銀二匁なり、これを寺僧に投ずれば則門をひらく、東山銀閣寺もまたかくのごとし」と記しているから確かであろう。」
(p.331)「幕末には開帳によって冥加金を集めることが行われた」
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000240281