レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20140619
- 登録日時
- 2018/02/28 17:53
- 更新日時
- 2018/03/27 14:47
- 管理番号
- 新県図-01354
- 質問
-
解決
新潟県と山形県の県境にある飯豊山(いいでやま)付近で、県境の線が2重(2本)になっている理由等について
- 回答
-
当館所蔵資料を調査したところ、下記(1)~(5)の資料に飯豊山付近の県境に関する記述がありました。
(1)『知らなかった!「県境」「境界線」92の不思議』(浅井建爾/著 実業之日本社 2013)
p220~223の「日本一摩訶不思議な福島・山形・新潟三県の県境-わずか幅一メートル弱の福島県が七・五キロも続くわけ-」に記載がありました。
(明治時代)「東蒲原郡が福島県から新潟県に移管されたことから、これまで福島と山縣の県境付近にそびえていた飯豊山が、新潟県側に組み込まれ・・・。」中略「飯豊山神社は一ノ木村(現・福島県喜多方市山都町)に鎮座しており、したがって飯豊山頂の飯豊山神社の奥の院も一ノ木村の土地である・・・」中略「県境紛争へ発展・・・」「国(内務大臣)の裁定を仰ぐ・・・」中略「1907(明治40)年8月、・・・中略・・・現地調査を実施。・・・中略・・・飯豊山神社およびその境内、登山道は一ノ木村側に帰属するという裁定が下された。・・・」
なお同じ著者の『知らなかった!驚いた!日本全国「県境」の謎』(浅井建爾/著 実業之日本社2007)のp169~171にも同じ内容の記述がありました。
(2)『新潟もの知り地理ブック 2』鈴木郁夫ほか/著 新潟日報事業社 2013)
p88~89の「わずか幅一メートルの福島県境とは-神の山飯豊山と福島県-」に記載がありました。
p89には「2.5万分の1地形図「飯豊山」縮小」があり、本文には「明治19(1886)年には、福島県域でなくなったが、福島県民の嘆願により明治40年に福島県に戻ることになった。変遷の理由は・・・」という記述がありました。
(3)『東蒲原郡史』通史編2 近現代(東蒲原郡史編さん委員会/編 東蒲原郡史編さん委員会 2013)
「第2節 福島県から新潟県へ」中p67~71「飯豊山頂の帰属問題」に記述がありました。
(4)『飯豊山信仰』(山都町史編さん委員会/編 山都町教育委員会 1990)
p164~167に新潟県資料として「明治二十二年飯豊山山境に係わる争論についての答申書」がありました。
(5)『越後の山旅』上巻(藤島玄/著 富士波出版社 1976)
p140上段「筆者は『飯豊山神社同境内地 証左書類編冊』をもっている。・・・」(これは上記(3)p70で紹介している資料です。)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本 (291 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 県境
- 新潟県
- 福島県
- 山形県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000231588