レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20150310
- 登録日時
- 2018/02/28 17:49
- 更新日時
- 2018/03/27 14:47
- 管理番号
- 新県図-01346
- 質問
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解決
「めだかの学校」「夏の思い出」などを作曲した中田喜直が、新潟市の学校の校歌を作曲した経緯とその歌について
- 回答
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下記(1)(2)の資料に中田喜直が校歌を作曲した新潟市内の学校の情報がありました。そこでそれらの学校などの記念誌を調べたところ、下記(3)~(6)資料に校歌について記述がありました。
(1)『夏がくれば思い出す-評伝中田喜直-』(牛山剛/著 新潮社 2009)
p285「新潟市立牡丹山小学校、新潟市立竹尾小学校」 ※現在は新潟市立の「横越小学校、葛塚小学校」
p287「新潟大学教育学部付属中学校」「にいがた女子工芸学校」「新潟県立新潟中央高等学校」
p287「新潟青陵女子短期大学」
(2)『新潟市立学校沿革略史』(新潟市義務教育史編さん委員会/編 新潟市教育委員会 1991)
p357「新潟市立牡丹山小学校」
p388「新潟市立竹尾小学校」
p592「新潟大学教育学部附属中学校」
(3)『ふぞく100年』(「ふぞく100年」編集委員会/編 新潟大学教育学部附属新潟小・中学校創立百周年記念事業実行委員会 1973)
p3「歌詞」p89「作曲について」として中田喜直氏の談話が掲載されていました。
(4)『附中の三十年』(新潟大学教育学部附属新潟中学校三十周年記念誌編集委員会/編 新潟大学教育学部附属新潟中学校 1978)
口絵部分に「校歌(楽譜付)」があります
(5)『叡知の鏡』(新潟県立新潟中央高等学校/編 新潟中央高等学校創立100周年記念事業実行委員会 2000)
p186~191「創立60周年と新校歌制定」内p186~187に中田喜直氏への依頼の経緯が書かれています。「県内各校校歌の作詞者・作曲者の調査を行うことになり、・・・中山晋平が一番多く高校9校の作曲をしているが、本校校歌を作曲した中田喜直も新潟女子工芸高校・相川高校・新潟附属中学校・両津中学校の4校の校歌を作曲していた。」中略「6月9日の委員会で、先ず作曲者として中田喜直に折衝することになった。中田の父・中田章は東京音楽学校(現東京芸術大学)の作曲家教授で、本稿音楽科教諭吉沢実の恩師であった。」
また、p188には中田喜直氏の書状の引用もありました。
なお、p187に「校歌(楽譜付)」がありますが、小さくてほとんど読めませんでした。
(6)『七十年史』(新潟県立新潟中央高等学校七十年史編集委員会/編 新潟県立新潟中央高等学校七十年史編集委員会 1971)
p9「校歌(楽譜付)」、p52にエピソードに関する記述があります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 幼児.初等.中等教育 (376 9版)
- 音楽史.各国の音楽 (762 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 新潟県
- 校歌
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000231587