レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年7月29日
- 登録日時
- 2017/08/15 20:05
- 更新日時
- 2017/12/13 15:02
- 管理番号
- 中央-1-002019
- 質問
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佐藤礼云(禮云)の生没年および経歴を知りたい。
- 回答
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佐藤礼云の生年は1886年のようである。
没年の記載がある資料は見つからなかったが、経歴については断片的に判明した。
以下のとおり資料を紹介した。
図書
・『成田高等学校史 創立六十周年記念』大野政治 編 成田高等学校 1958年
→p.122 「大正時代の成田中学校」の章で、「佐藤礼云主監時代(自大正五年三月 至大正八年七月)」
p.123 「佐竹氏の後釜に坐つたのが東大哲学科出の佐藤礼云先生だ。 礼云先生は押しも押れない堂々たる風彩の人であった。成田中学から県立浜松中学校長に転出し、後文部省の督学官となり、福岡県師範学校長と、トントン拍子で出世した。」
p.123~124 「佐藤先生は、愛知県士族の出で帝大文学士、名を礼云(ひろひさ)と呼び…(後略)」
との記述あり。
・『日本数学教育史』小倉金之助、黒田孝郎 共著 明治図書 1978年
→p.43 佐藤礼云が、中学校令施行規則の改正(1931年)に先だって1928年に作られた「中等教育調査委員会」の小委員会員だった旨の記述あり。
インターネット
・「全国中学校校長会朝鮮・満州視察旅行全員名簿」(「小松家文書館」のホームページ内)
→「浜松 佐藤禮云 (生没年)1886- (在任)1919―1930(?) (公私立)静岡県立 (現在校)静岡県立浜松北高等学校」
との記述あり。(小松家文書館ホーページ内に、大正10年の全国中学校校長会朝鮮・満州視察旅行について「『京城日報』には朝鮮・満州視察の「中学校長團総員93名」とあり、全員の名前と所属中学校の名前がでている。」と記述があり、この『京城日報』をまとめたものかと思われる。)
・「井上靖と浜松 3」『はままつ文芸館だより いざよい』No.26,2014年 (「はまかるNEO」のホームページ内)
→井上靖が大正10(1921)年に県立浜松中学校に入学したときのことについての文章内に、「校長は、在職一年半35歳の佐藤礼云だった。」との記述あり。
- 回答プロセス
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・当館所蔵の人名事典、紳士録を調査したが、佐藤礼云の生没年および経歴の掲載は見つからなかった。
・新聞記事(朝日、読売、毎日)を検索したが、生没年や経歴がわかる記事は見つからなかった。
・埼玉県立図書館に『全日本紳士録』昭和25年版、昭和38年版の調査を依頼したが掲載なし。その際に、回答のインターネットサイトを教示していただいた。
・国立国会図書館デジタルコレクションで「佐藤礼云」を検索すると7件ヒット。そのうち、『成田高等学校史 創立六十周年記念』に「第一節 佐竹元二主監時代 佐藤礼云主監時代」あり。
・google booksで「佐藤礼云」検索。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 佐藤礼云
- 佐藤禮云
- 照会先
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- 埼玉県立図書館
- 寄与者
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- 埼玉県立図書館
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000220420