レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年04月19日
- 登録日時
- 2017/02/08 15:09
- 更新日時
- 2017/02/08 15:11
- 管理番号
- 20170208-6
- 質問
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解決
1920年代頃に、堤芹村という俳人が主催して福井県内で発行されていた俳誌について知りたい。また、堤芹村自身についても資料がないか。
- 回答
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●堤芹村(ツツミ・キンソン)
本名は堤重恭(ツツミ・シゲヤス)*本名のヨミは質問者より。石川県小松生まれ。明治12.12.25~昭和19.2.20。明治35年に福井に移る。弁護士、福井新聞俳句選者。正岡子規、河東碧梧桐の一門。
●俳誌「早苗」
堤芹村主宰による俳誌。明治42年5月、福井市で創刊。明治43年9月に2巻8号(通巻14号)で終刊。正岡子規・高浜虚子の俳句革新以降、地方で早い時期にその流れをくんで登場した先進的な俳誌として評価される。
*日本近代文学館で第1巻2号(明治42年6月)の1冊のみ所蔵。『若越俳史』p93の記述中に「複写したものが(著者の)手元に数冊あり」とある。
- 回答プロセス
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(1)OPACおよび「ふくいの人物についてしらべる」で検索。
⇒後者の「人物紹介」で「弁護士、俳人」とのデータのみあり。
*「人名ヨミ不詳」「福井生まれ」となっているため、要訂正。
(2)H913の書架をあたる。特に県内の俳句史については、斎藤耕子、石川銀栄子の詳細な参考文献があるので、両人の著編資料を中心に調べる。
⇒ 以下の資料に関係記述の記載があった。
・『福井俳句辞典』斎藤耕子・編、2008
p158に「芹村」の項あり。俳誌「早苗」主宰とある。
・『福井の俳句』昭和時代 斎藤耕子・著、2001
巻末の人名索引p260に「堤芹村」の項、またp102の文中にも記載あり。
・『若越俳史』斎藤耕子・著、2007
p93に俳誌「早苗」と主宰「堤芹村」についての記述あり。また『俳文学大辞典』に記載あり、とある。
→『俳文学大辞典』角川書店 (1995) のp333に俳誌「早苗」の項、p583に「堤芹村」の項あり。(*ヨミは「セッソン」とあるが、「キンソン」の誤り)
・『越前俳諧提要』石川銀栄子・編、1964
p17に「芹村」の項、p 87に俳誌「早苗」の項あり。
また『続三千里』(碧梧桐)の項に、同紀行作品中に「芹村」の名が見える、とある。
→『続三千里』河東碧梧桐・著 講談社、1974 の上巻p180に、金沢での句会での芹村の句、p246に福井で「芹村庵で晩餐の馳走」、p247に芹村のことを詠んだ句が、それぞれ記載されている。
- 事前調査事項
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堤芹村の本名は堤重恭。当時、俳誌「ホトトギス」の福井支部のような立場にあり、高浜虚子や河東碧梧桐とも関係があったらしい。
- NDC
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- 詩歌 (911 8版)
- 参考資料
- キーワード
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- 堤芹村
- 早苗
- 俳句
- 俳誌
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000209474