質問の資料『マン・レイ展 分冊1』横浜美術館/編 毎日新聞社 1990年
を確認したところ、奥付に「展覧会監修…リュシアン・トレイヤール」との記載あり。
●本
以下の資料にリュシアン・トレイヤール氏に関する記載があった。
(1)『マン・レイ写真と恋とカフェの日々』ハーバート・R.ロットマン/著 白水社 2003年
p286 美術書の版元の遣いとしてフェルー街を訪ねたのをきっかけに助手となったルシアン・トレイヤールは、尊敬する師が次第に年老い、健康を損ね、気分も塞いでゆく様を身近で見守った。
との記述あり。
(2)『マン・レイ写真展 1917-75』マン・レイ/著 東日本鉄道文化財団 1996年
p7 緒言 リュシアン・トレイヤール
p202~203 マン・レイの写真プリントについて リュシアン・トレイヤール
p204 密着焼き付け―マン・レイにおけるその使用法 リュシアン・トレイヤール
が掲載されているが、著者紹介はない。
●論文
(3)「境界の芸術家 : マン・レイとモード写真」木水 千里『Azur』(9) p1-24 2008年 成城大学
p1 「1994 年に国立近代美術館にマン・レイの夫人、ジュリエット・マン・レイとそのアシスタントであるリュシアン・トレイヤールからの寄贈によってやっとそのコーパスが見え始めたマン・レイ研究は未だ基礎的な段階なのである(5)。」との記述があり、
注(5)に”1994 年の寄贈については以下の通りである。「1994 年、パリのポンピドゥ・センター内に設けられている国立近代美術家は、マン・レイ未亡人のジュリエットを中心に組織されていた『マン・レイ・アルチーヴ〔sic〕』より、マン・レイの12,000 枚に及ぶ写真ネガ・フィルムと5,000 枚もの密着紙焼き写真、および貴重な資料類の寄贈を受けた。およそ時を同じくして、この組織の一員でもありマン・レイ晩年の信頼されたアシスタントでもあったリュシアン・トレイヤールからも、約1,500 枚のネガ・フィルムの寄贈を受けたのである」(木島俊介「マン・レイ自由と快楽」、『マン・レイ写真展』東京新聞、2002、p. 22)。”との記述あり。