レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年11月22日
- 登録日時
- 2016/11/22 18:38
- 更新日時
- 2016/12/02 13:41
- 管理番号
- 蒲郡-2016-11221-般
- 質問
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解決
拾石訓唖義塾とそれを作った木俣峯吉、成瀬文吾について知りたい。
- 回答
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拾石訓唖義塾は明治31年に宝飯郡塩津村大字拾石(現 愛知県蒲郡市拾石町)に全国で3番目に創立された聾唖者のための学校である。木俣峯吉は義娘かよのために拾石訓唖義塾をつくった。成瀬文吾は教育に力を注いだ人物であり、校長退職後、請われて拾石訓唖義塾の塾長となるが、1年半あまりで志半ばにして病に倒れた。その後拾石訓唖義塾は、東京盲唖学校の吉川金造を迎えて豊橋に場所を移し「私立豊橋盲唖学校」として再出発した。
上記は『吉川金造伝』『愛知県立豊橋聾学校八十年史』による。これ以上詳しい記述の載っている資料は見つからなかった。
- 回答プロセス
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1、既に調べられている資料『吉川金造伝』『拾石村誌 全壱巻』『蒲郡市史 本文編3』『愛知県特殊教育のあゆみ』『がまごおり風土記』『愛知県教育史 資料編 近代2』『愛知県立豊橋聾学校八十年史』以外を探す。
2、「拾石訓唖義塾」「木俣峯吉」「成瀬文吾」をキーワードに検索。
3、「成瀬文吾」のみ検索できた。a『蒲郡の人』p4から蒲郡高等小学校(現在の蒲郡市立蒲郡南部小学校)長であったことがわかったので、b『蒲南百年』をみる。bのp22,27、付表6,7から在職期間がわかった。
4、拾石訓唖義塾のある拾石町が塩津にあることからc『塩津村誌』をみる。p293には、設立と規則、木俣峯吉についての記載がある。
5、拾石訓唖義塾が学校であることから、d『愛知県教育史 第3巻』をみる。
- 事前調査事項
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『吉川金造伝』『拾石村誌 全壱巻』『蒲郡市史 本文編3』『愛知県特殊教育のあゆみ』『がまごおり風土記』『愛知県教育史 資料編 近代2』『愛知県立豊橋聾学校八十年史』は既に調べている。
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 幼児.初等.中等教育 (376 9版)
- 障害児教育[特別支援教育] (378)
- 参考資料
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- 蒲郡の人,蒲郡市教員会/編集,蒲郡市教員会,1964
- 蒲南百年,蒲郡市立蒲郡南部小学校/著,蒲南100年記念事業実行委員会,1975
- 塩津村誌,鋤柄 渡/編著,塩津村誌刊行会,1998.4
- キーワード
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- 拾石訓唖義塾
- 木俣峯吉
- 成瀬文吾
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000200285