レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年07月28日
- 登録日時
- 2016/08/25 11:05
- 更新日時
- 2016/08/25 11:05
- 管理番号
- いわき総合-一般292
- 質問
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解決
江戸時代後期、外国船の脅威を退けるためにアームストロング砲を自前で作った藩があり、鋳造のため佐賀藩、伊豆韮山、薩摩藩などで反射炉が作られた。これらの反射炉が作られた順序が知りたい。
- 回答
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「反射炉」に関する次の資料を確認。
◆『反射炉 1』(金子功 法政大学出版局 1995)
「第3章 日本最初の佐賀反射炉」など
◆『那珂湊の反射炉(ふるさと文庫)』(佐藤和賀子 筑波書林 1988)
「三 諸藩の反射炉と高炉」(P21~)に、「嘉永三年(1850)佐賀多布施に最初の反射炉が築かれた」、「佐賀藩に続いたのは薩摩藩である…反射炉は嘉永五年に着工した。」、「伊豆韮山の反射炉は…江川坦庵を中心に佐賀藩の技術協力を得て、嘉永六年から築造の準備がはじめられた。」とあった。
また、「製鉄」からもアプローチしてみる。
◆『鉄の辞典』(朝倉書店 2014)
P72「4.7幕末・明治期の溶鉱炉」に、「佐賀藩藩主の鍋島直正は1850(嘉永3)年に佐賀城北の築地に反射炉を着工している」、「佐賀藩に続いて、1852(嘉永5)年に反射炉を築いた薩摩藩の島津斉彬」、「1853(嘉永6)年には伊豆の韮山に江川英龍(坦庵)、英敏の親子が佐賀藩の技術援助を受けて、反射炉を完成させている」とあった。
以上から、佐賀藩(嘉永3年)→薩摩藩(嘉永5年)→伊豆韮山(嘉永6年)の順であることがわかった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 鉄鋼 (564 9版)
- 参考資料
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- 【資料①】『反射炉 1』[210.5/カ-1・1110327556]
- 【資料②】『反射炉 2』[210.5/カ-2・1110327564]
- 【資料③】『那珂湊の反射炉』[AL/564/サ・1110695507]
- 【資料④】『鉄の辞典』[R/564.0/テ・111425202]
- キーワード
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- 反射炉
- 鉄 歴史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000196368