明治21年~33年まで、浦見町は町名で、釧路郡釧路村の一部だった。この頃の浦見町内の番地がわかる地図資料は当館に所蔵がない。
『角川日本地名大辞典 1-[1]』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編.1987)の「浦見町」の項目にある説明をもとに地図等を調べ、結果を回答。
明治33年釧路町の大字となり、大正9年区制施行にともない釧路区、大正11年市制施行にともなって釧路市の大字となった。
『釧路港實業家名鑑明細全圖』(釧路地方の地名を考える会.2003.※明治43年釧路商業新報社発行の復刻)および『釧路市街明細図』(※大正3年中川日曜堂の複製)の当館所蔵の地図で、現在とほぼ同位置に「浦見町」の表記を確認できる。(ただし現在の宮本町を含む)
地図上には番地らしき番号が記入されているが、「〇丁目」と書かれた表記は見当たらなかった。
合わせて『電話番號簿 明治四十二年七月改』(郵便局.1984※復刻版)を確認したが、電話番号簿ではところどころ「〇丁目」のない番地のみ、または「〇丁目番外地」などがある。電話番号簿の住所を辿ると、明治43年の地図に記載のある「税務署」が電話番号簿では「五丁目五番地」となっており、概ね現在の浦見町7丁目付近が当時の浦見町5丁目ではないかと推測される。
『角川日本地名大辞典』の記述によると、「昭和7年大字が廃され、浦見町1~9丁目・宮本町となる」「もとは釧路市大字浦見町・真砂町の各一部」とあるが、昭和40年の『釧路市住宅明細地図 第3版』(二鶴堂出版部.1965)には浦見町9丁目はなく、現在の浦見町付近に真砂町と思われる記述も確認できなかった。
昭和45年、現在の浦見町1~8丁目となったとのことで、昭和40年の地図はほぼ現在の浦見町と同じ。