レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年03月15日
- 登録日時
- 2016/01/21 16:53
- 更新日時
- 2016/03/29 15:07
- 管理番号
- 埼熊-2015-090
- 質問
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解決
料理の流儀・四条流始祖、四条中納言藤原山陰の系譜を見たい。
- 回答
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「四条中納言藤原山陰」の系譜については、以下の資料に記載があった。
『国史大系 〔17-2〕 尊卑分脉』(黒板勝美編 吉川弘文館 1983)
p284「山蔭」の名前あり。
《国会図書館デジタルコレクション》に公開されている「新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集 4」(藤原公定撰 吉川弘文館 1903-1904)
p60「山蔭」の名前あり。(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991586 国会図書館 2015/03/12最終確認)32コマ
この資料は、ほぼ『国史大系』と同じ内容である。ただし、欄外の情報量が異なる。
『庖丁人の生活 生活史叢書 23』(中沢正著 雄山閣出版 1971)
p8-12に四条流の起源と流れを汲む流派について解説されている。
四条家の略系図、藤原山蔭の略系図が掲載されている。
出典の資料として、「四条流庖術膳部伝来書」(山口嘉十郎書)、「日本料理法大全」、「日本料理法大全 続」が挙げられている。
『日本料理法大全 続』(石井泰次郎著 第一出版 1988)
p3「二 中納言従三位藤原朝臣山蔭」の項に「「尊卑分脈」という本の四、藤原のところに「魚名公流」がある」として、「魚名」から6代の系譜あり。
p5「略系」の項に魚名の子として「一、鷹取 ニ、鷲取 三、末茂」の名あり。
「山蔭の流」として
山蔭-有頼-在衡-国光-忠輔-相任
(有頼の弟の位置に)忠正六子-安親(男十 女一)-時姫
「四条の流」として
(魚名三男)末茂・・・子孫四条。山科。九条。六条。紙屋川等流
嫡家四条-隆親-隆顕-隆実-隆資
(隆顕の弟の位置に)房名-隆名-隆宗-隆卿、以下6代の名あり。
「山蔭卿は、魚名の子鷲取の子孫で、四条家は魚名の三男末茂の子孫である。山蔭卿の子孫が四条家だというのは間違っている。つきつめていけば、魚名で一つになる家柄である。」とあり。
- 回答プロセス
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1 参考図書を確認する。
『食の百科事典』(食文化研究所編 新人物往来社 1988)
p397「藤原政朝」の項に「四条中納言藤原山蔭の名が一般に知られている」「平安時代から昭和時代まで料理の代表的流派として四条流の名が残っているのは、政朝が当時料理の第一人者であったからであろう」などの記述あり。系譜はなし。
p403「山下茂」の項に「第12代四条流料理家元」「四条流庖丁儀式の第一人者」とあり。
『日本大百科全書 10 さえ-しつ』(小学館 1986)
p750「四条家」の項に略系図あり。ただし、10代省略されており「政朝」の記述もない。また、四条流家元の系譜ではない。
2 自館目録を〈内容注記:四条家〉で検索する。
『宮中のシェフ、鶴をさばく 江戸時代の朝廷と庖丁道』(西村慎太郎著 吉川弘文館 2012)
p137「『尊卑分脈』を見ると、山蔭の子孫は(中略)途中で途絶えてしまう。すなわち、庖丁道の祖である山蔭の子孫はのちの堂上公家四条家へとつながっているわけではない。(中略)実は、藤原魚名の三男末茂の子孫なのである」とあり。
3 自館目録を〈四条 & 庖丁〉で検索する。
『四條男爵家の維新と近代』(尚友倶楽部編 華族史料研究会編 同成社 2012)
p3-26「盆茣蓙と庖丁道」
近世以降の四條家及び庖丁道の門人についての説明はあるが、質問に該当する記述はない。
- 事前調査事項
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質問館調査済資料:どのような人物でどの人物に引き継がれたなどは記載があったが系譜はなかった。
「日本大百科全書」p93下段L18”四条流”-四条中納言藤原山陰
「四条流包丁書」(長亨3年-1489年)
「群書類従 第19」蹴鞠部(61、四条流包丁書)
「國史大辞典」6 p783「四条流」
- NDC
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- 系譜.家史.皇室 (288 9版)
- 食品.料理 (596 9版)
- 参考資料
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- 『国史大系 〔17-2〕 尊卑分脉』(黒板勝美編 吉川弘文館 1983)
- 『庖丁人の生活 生活史叢書 23』(中沢正著 雄山閣出版 1971)
- 『日本料理法大全 続』(石井泰次郎著 第一出版 1988) , ISBN 4-8041-0057-1
- キーワード
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- 料理(日本)
- 四条流
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000187312