レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
[転記用URL] https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000183423提供館 (Library) | 塩尻市立図書館 (2310060) | 管理番号 (Control number) | 塩尻302 | |||||
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事例作成日 (Creation date) | 2014年05月22日 | 登録日時 (Registration date) | 2015年11月09日 11時25分 | 更新日時 (Last update) | 2015年11月16日 13時08分 | |||
質問 (Question) | 小山作之助という人物のことが知りたい。飯田風越高等学校の校歌を作曲した人物。 | |||||||
回答 (Answer) | 郷土資料などからは記述が見つからなかったが、音楽関連の人物事典等から略歴を確認することができた。 小山作之助(こやま・さくのすけ) 1864年生(新潟県出身) 1927年没 別名:本元子 東京府唱歌伝習所教授、東京府尋常師範学校助教授、東京盲唖学校洋琴教授嘱託等を務めたのち、東京音楽学校助教授(のちに教授)、日本楽器(現・ヤマハ)顧問。各市立音楽学校顧問となり、設立・運営にも協力した。 | |||||||
回答プロセス (Answering process) | はじめに、長野県の教育に関する資料や、飯田市の歴史に関する以下の資料を確認した。 『長野県教育史 第5巻 教育課程編』(長野教育史刊行会/編 長野教育史刊行会,)第7章 音楽教育 『長野県史 通史編 第7巻 近代1』(長野県/編 長野県史刊行会,1988) 『飯田市 歴史研究所 年報11 地域と歩む教育の歴史』(飯田市歴史研究所/著 飯田市教育委員会,2013) 『飯田・上飯田の歴史 上・下』(飯田市歴史研究所/編著 飯田市教育委員会,2012/2013) これらには記述が見つからなかった。 次に、雑誌信濃教育から関連のありそうな記事を確認したが、いずれも明確な記述はなかった。 『雑誌 信濃教育 平成4年』第1281号 「飯伊地方の校歌郡管見」小中学校の校歌の記載のみ 『雑誌 信濃教育 平成5年』第1264号 「信州校歌人脈 -信州の校歌をつくった人たち―」作詞者の記述のみ 人名事典の記述でもよいとのことなので、【資料1~3】も確認したところ、若干の記述が見つかった。 【資料1】 p22-23 小山作之助の作曲した「夏は来ぬ」についての説明。歌詞を書いた佐々木信綱がまだ若いころ、「既に名声を得ていた作曲家」との記述あり。 p37 作曲者不詳の「ふじの山」について、作曲者の可能性があるうちの一人としてあげられている。 【資料2】 p289-290 略歴の他、評伝・参考文献の紹介がある。 【資料3】 p266 資料2と同様の記述。 また、インターネットで調べるたところ、新潟県出身とのことだったため、新潟県立図書館のホームページでキーワード検索すると、数点資料がヒットする。 詳細な記載がありそうな『おもかげ 伝記・小山作之助』(伝記叢書 203)/村上 市郎著/大空社/1996.4/が出版されているが、他館の図書館からの取り寄せ等は不要とのこと。 | |||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | 飯田風越高等学校の記念誌には記載はなかった。 | |||||||
NDC |
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参考資料 (Reference materials) |
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キーワード (Keywords) | ||||||||
照会先 (Institution or person inquired for advice) | ||||||||
寄与者 (Contributor) | 備考 (Notes) | |||||||
調査種別 (Type of search) | 文献紹介 | 内容種別 (Type of subject) | 人物 | 質問者区分 (Category of questioner) | 社会人 | |||
登録番号 (Registration number) | 1000183423 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |