レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/11/15
- 登録日時
- 2015/10/03 08:07
- 更新日時
- 2015/11/16 14:50
- 管理番号
- 埼熊-2015-048
- 質問
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解決
徳川家康の側室於奈津の事跡に関して、小説仕立ては多いが、原典はどのようなものがあるのか知りたい。
例えば、於奈津が裸になって家康を救った話等は、何処に記載があるのか。
- 回答
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記述のあった以下の資料(史料)を紹介した。
『徳川諸家系譜 2』(続群書類従完成会 1974)
p5-26「幕府祚胤伝 1」
p25に「清雲院」の項に略歴あり。
※「幕府祚胤伝」は覚斉竹尾善筑次春著、天保9(1838)年9月刊。原文は漢文。書き下したものは、以下の資料に収録されている。
『史料徳川夫人伝』(高柳金芳校注 人物往来社 1967)
p103-104「清雲院殿 於奈津」の項
『徳川実紀索引 人名篇 上』(徳川実紀研究会編 吉川弘文館 1972)
p247に「清雲院(お夏の局、家康側室)」の項あり。以下の部分に掲載あり。
『国史大系 新訂増補 38 徳川実紀 1』(吉川弘文館 1964)
p545下段「御加はなつの局つかふまつる。」
p608下段「(慶長日記)○十一日角了(中略)夏の局へ柬埔寨渡海。」
『国史大系 新訂増補 39 徳川実紀 2』(吉川弘文館 1964)
p96下段「(國師日記、舜舊記)○廿一日神供昨日のごとし。(中略)。夏の局は清雲院とあらたむ。」
p97下段-p98上段「清雲院は江戸へ参り。(中略)清雲院にも同所にて五百石給う。」
p536上段「又御側室清雲院尼に金百枚。」
p685上段「清雲院尼。」
『国史大系 新訂増補 40 徳川実紀 3』(吉川弘文館 1964)
p29下段「(日記)○廿九日相應院(尾張義直卿養母)に林檎。(中略)。清雲院尼。」
『国史大系 新訂増補 41 徳川実紀 4』(吉川弘文館 1965)
p165下段「此清雲院といへるは。東照宮に仕へて。大坂の軍にも供奉し。薨じ給ひし後剃髪して二丸に住けるが。仰により紀藩士藤該を養子として召出されしなり。」
『寛政重修諸家譜 13』(続群書類従完成会 1984)
p124長谷川藤直の子「女子」
「東照宮の御側近くつかへたてまつり、薨御の後剃髪して清雲院と號し、武蔵國中野にをいて五百石の地をたまふ。」等とあり。
『家康の族葉』(中村孝也著 碩文社 1997)
p345-356「長谷川氏於夏(於奈津)の方(清雲院)」の項あり。
p348-349に「久能御蔵金銀請取帳」(元和2年11月21日付け・尾州徳川家所蔵)の「おなつ御あずかり」部分の翻刻あり。
その他、文中の出典史料と概略の紹介に、以下のものがあり。ただし原文は未確認である。
「異国渡海朱印帳」
於夏が授けられた渡海朱印状について。
「略譜 8 長谷川」
明暦3年から万治3年の於夏の晩年について。
「略譜」がどの史料を指しているのか、凡例がないため確認できなかった。
「峯林学士文集 16」
万治3年、酒井讃岐守忠勝が清雲院(於夏)を訪問した時の記録。漢文を和訳した要約を掲載している。
- 回答プロセス
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歴史・人物に関する参考図書で調査し、参照した史料の所蔵を調査した。
徳川家康の伝記資料や徳川家の家譜を調査し、出典となっている史料の所蔵を調査した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 『徳川諸家系譜 2』(続群書類従完成会 1974)
- 『史料徳川夫人伝』(高柳金芳校注 人物往来社 1967)
- 『徳川実紀索引 人名篇 上』(徳川実紀研究会編 吉川弘文館 1972)
- 『国史大系 新訂増補 38-41 徳川実紀 1-4』(吉川弘文館 1964-1965)
- 『寛政重修諸家譜 13』(続群書類従完成会 1984)
- 『家康の族葉』(中村孝也著 碩文社 1997) , ISBN 4-88200-303-1
- キーワード
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- 清雲院於奈津ノ方(セイウンイン オナツノカタ)
- 徳川 家康(トクガワ イエヤス)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 言葉
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000181977