レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/10/28
- 登録日時
- 2015/10/02 18:37
- 更新日時
- 2016/04/22 16:15
- 管理番号
- 埼熊-2015-046
- 質問
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未解決
秀吉が発行した書状だと思うが、質問者持参の資料の出典、もしくは他に同じ書状が載っている資料があれば教えてほしい。
持参資料には「羽柴秀吉書状写」とあり「今度佐々内蔵助企逆意之条」で始まり「六月廿五日」と日付、「上杉殿」と宛名がある。
- 回答
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県立図書館の所蔵資料及びインターネット上のウェブサイト、各種データベースを調査したが、該当する資料を見つけることはできなかった。
回答プロセスを報告した。
備考に追記あり。(2015/12/10、2016/04/22)
- 回答プロセス
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所蔵資料を調べる。
『秀吉の手紙を読む』(染谷光廣著 吉川弘文館 2013)
p13「『豊太閤真蹟集』に、(中略)全国に残っている秀吉の自筆文書約百二十点が、集大成されています。」
p17「天正十六(一五八八)年閏五月十四日付で、島津義弘に与えた佐々成政の追放状(「手紙番号⑰」一六四~一七七ページ)の原本が、東京大学史料編纂所にあります。」
p161-182「第十七章 佐々成政滅ぶ」
p161「天正十六(一五八八)年閏五月十四日付で、秀吉から島津義弘に与えた朱印状です。この日、秀吉は、佐々成政を尼崎で自殺させ、その罪状を諸大名に、通告しました。同文の文書が数多く残っているのも、そのことと関連します。大変長文のものですが、成政切腹の原因、また秀吉自身の家臣に対する考え方、あるいは、秀吉の文書というものが、どういうものであるか、というさまざまな事柄を知ることのできる貴重な文書です。」
p162-177口語訳全文、原本の写真、原文を書き起こしたものあり。書き出しは「陸奥守前後悪逆条々の事」で質問者持参資料と同内容か不明。
『太閤の手紙』(桑田忠親著 文藝春秋 1959)
関連する書状の記載なし。
『群馬県史 資料編 7』(群馬県 1986)
天正13年前後の秀吉の書状をみるが、該当はなし。
『豊臣秀吉文書目録』(三鬼清一郎編 名古屋大学文学部国史学研究室 1989)
p28「天正13・6・25 秀吉○→中川藤兵衛尉,他1名 其面為見舞竹中貞右衛門尉……(両三人)〔中川家文書〕」とあり。○は秀吉の朱印状を表わす。
インターネット情報を調べる。
《国立国会図書館デジタルコレクション》
「豊太閤真蹟集 上、下、解説」(豊臣秀吉 [筆] 東京帝国大学史料編纂所 1938)国会図書館・図書館送信限定閲覧資料
(http://dl.ndl.go.jp/search/searchResult?featureCode=all&searchWord=%E8%B1%8A%E5%A4%AA%E9%96%A4%E7%9C%9F%E8%B9%9F%E9%9B%86&viewRestricted=0&viewRestricted=2 国会図 2014/10/19最終確認)
《東京大学史料編纂所 データベース検索 横断検索》(http://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/shipscontroller 東京大学史料編纂所 2014/10/13最終確認)を検索、該当なし。
《県内自治体史誌データベース》(http://www.archives.pref.gunma.jp/database/database-shicyoson.xls 群馬県立文書館 2014/10/15最終確認)を検索、《市町村史誌 資料編 目次》の検索結果に、「沼田市史 資料編1」掲載の書状あり。「沼田市史」は埼玉県立図書館未所蔵のため、未確認。
《群馬県立文書館 目録検索》(http://www.archives.pref.gunma.jp/mkrok/search_keyword_all.do 群馬県立文書館 2014/10/15最終確認)を検索、該当なし。
《群馬県立歴史博物館 資料データベース》(http://jmapps.ne.jp/grekisi/index.html?from= 群馬県立歴史博物館 2014/10/15最終確認)を検索、該当なし。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 豊臣 秀吉(トヨトミ ヒデヨシ)
- 古文書
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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レファ協事業サポーター様より情報提供あり。提供情報により、『大日本史料』を確認したところ、質問の文書掲載あり。
提供情報の本文:
東京大学史料編纂所の下記データベースに次の情報がありました。
大日本史料総合データベース
【管理番号】 020100106051
【編/冊/頁】 11編16冊194頁
【綱文和暦】 天正13年6月25日(15850060250) 2条
【綱文】 羽柴秀吉、上杉景勝に、近く越中に出馬して、佐々成政を討滅し、共に小田原征伐の策を議せんことを告ぐ、
【区分】 大日本史料
【事項】 出兵,出陣,討伐,追討,征伐
【備考】 02
情報により『大日本史料 11編16冊』(東京大学史料編纂所編 東京大学出版会 1978)を確認したところ、p194-195に質問の文書の掲載あり。
出典は「上杉家記 29」とあり。
レファ協事業サポーター様より追加情報提供あり。以下、提供情報の本文
下記の新刊にも該当の文書が収録されていました。
豊臣秀吉文書集 名古屋市博物館編 2 吉川弘文館, 2016
ISBN:9784642014229
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000067-I000124906-00
p.175
一四六九 上杉宛書状写 「上杉家記」東大史謄写
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000181972