レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年07月03日
- 登録日時
- 2015/09/20 09:51
- 更新日時
- 2015/09/20 14:06
- 管理番号
- 県立長野-15-004
- 質問
-
解決
昭和初期に長野県内の魚屋の店内がどのようだったか分かる資料があるか。できれば写真がよい。
- 回答
-
次の資料を紹介。
1 『昭和のはじめ、長野の町』 光風舎 当館図書請求記号【N673/12】
昭和初期の長野市の店舗の写真集。
魚屋は2店舗掲載されているが、店頭写真なので奥の方はよく分からない。
p78 六四 木島屋魚店
p92 七八 能登屋昇信堂
(昭和2年(1927年)に信濃図書刊行会から刊行された『長中流商店銀行旅館建築構造写真帖 : 長野市
市区改正記念』を復刻したもの。)
2 『長野魚商百年の風光』 長野水産物協同組合 1988年 【N661/3】
時期は不明だが、p37に「魚里喜の年末年始の売出し風景」とある小さな写真が掲載されている。
記述文との関係から、大正末期から昭和の初期のものと考えられる。
店頭写真で、店内の奥の方はよく分からない。
3 『信濃毎日新聞データベース』から同紙紙面
(1)昭和12年3月15日朝刊5面
写真は不鮮明だが、「小僧学・A・B・C(七)魚屋の巻」の記事で店内の一部が写されている。
(2)昭和13年12月17日朝刊5面
「時局下の師走線」という記事に店頭の写真が掲載されている。
4 『上田市誌 第24巻 民俗編2』上田市誌編さん委員会/編 上田市 2001年 【N221/175/24】
p183に「魚屋」の項があり、時期がやや古くなるが、大正8年に店を開いたという上田市松尾町の大阪
屋商店の様子が記載されている。
「間口三間(約五、四m)奥行六間(約一〇、九m)で、陳列台の半分に魚を、後の半分には乾物と塩
物を置き、周りの棚には、瓶詰や缶詰類を並べたそうです。」とある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 商業 (670)
- 参考資料
- キーワード
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- 魚屋
- 魚商
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000180192