レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/08/08
- 登録日時
- 2013/12/02 00:30
- 更新日時
- 2013/12/04 09:41
- 管理番号
- 0000000106
- 質問
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解決
加賀藩のお抱え庭師能登の駒造について調べている。氷見や宝達志水町にある寺の庭を手がけているらしい。
- 回答
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1.能登の駒造が記載されている資料は以下の通り。
(1)『図説富山県の文化財 県指定編』p157「光久寺の茶庭」
「加賀藩に仕えた造園師、能登の駒蔵(ママ)の作と伝える。」
(2)『富山県の文化財』p174「光久寺の茶庭」
「いまから270年ほど前、加賀藩に仕えていた庭つくり師能登の国の駒造という人が造ったといわれる。」
(3)『北陸の庭園』p16「光久寺茶庭」
「江戸時代初期宝永年間に加賀藩庭師、能登の駒造の手によって造られたものと伝えられている。」
(4)「北陸中日新聞」朝刊1994年08月14日p8「庭に聴く 北陸名園の四季 善徳寺庭園(富山県城端町) 天を支える巨木」
城端別院善徳寺の庭園は「小堀遠州の流れをくむ加賀藩の庭師・能登の駒造の作庭になると伝えられる。作庭の時期は宝永初年(1704)ごろで、・・・・駒造はこの庭を手がけて能登へ戻る途中に、氷見市飯久保の光久寺の回廊式茶庭(富山県指定文化財)を作庭している(光久寺由来)。」
(5)「北國新聞」朝刊2003年07月01日p25「能登造園業組合の日帰り研修」
「能登の駒造作 庭園めぐり」は二十九日、弘願寺跡(津幡)や光久寺(氷見市)など四カ所を回るコースで行われた。研修は今年で二回目。講師は翠星高の石井嘉之助教諭が務め、参加者十一人は加賀藩庭師・能登の駒造が深い森を背景に造った江戸中期の庭園などを見て回った。」
(6)志賀町観光協会「長龍寺庭園」(http://www.shikakankounavi.jp/rekishi_02_tyouryuji.html 確認日:2013-08-08)
「長龍寺の見所はその庭園にあります。能登の駒造という庭師によって、江戸時代中期に作られたとされる庭園は、山裾を築山として巧みに生かした山畔池泉一式、鹿谷園と称されるものです。」
(7)「宝達志水町オムライスの郷」(http://omurice.info/link.html 確認日:2013-08-08))
岡部家「「能登の駒造」によると伝わる回泉式庭園など、豊かな空間が地域の歴史文化を感じさせる。」
(8)「福光の史跡と名勝めぐり」(http://mu86001.group.nanto-e.com/index.jsp?limit=3&category=&p=30)
「加賀藩政期、3代藩主前田利常公が、沢山の家臣と一緒にこの地方へ鷹狩りに来られ、豪農栗山又八で休息された。庭は小矢部川の石で素晴らしく、能登の駒造の作という。」
2.上記を整理するとインターネット情報を含めて、能登の駒造作庭の庭とされているのは以下の通りです。
・光久寺(氷見市)
・城端別院善徳寺(南砺市)
・弘願寺跡(羽咋市)
・長龍寺(志賀町)
・岡部家(宝達志水町)
3.ただし、能登の駒造作庭に関する文献資料の出典の記載があるのは、光久寺のみです(「光久寺由来」とあります)。
4.残りの庭について、能登の駒造に関する記述を以下の資料より探しましたが、見つかりませんでした。
・『加賀・能登の庭園』 歴史書刊行会編 石川県 1992.9(K629/15)
・『志賀町の文化財』志賀町文化財保護審議会監修 志賀町教育委員会編集 志賀町教育委員会 2008.3 (K709/1024)
・『石川県の文化財』石川史書刊行会編 「石川県の文化財」編集委員会編 石川史書刊行会 1985.3(K709/65)
・『ふるさと きらめき館 石川・富山の文化財』「愛蔵版ふるさときらめき館」編集委員会編集 北國新聞社 2011.8 (K709/1032)
・『石川県河北郡誌』石川県河北郡役所編 臨川書店 1985.10(K221/25)
・『城端別院善徳寺史』城端別院善徳寺蓮如上人五百回御遠忌記念誌編纂委員会編集 善徳寺 1999.5( K188/1042)
5.以下の資料に前田家と作庭に関する概説の部分があるので、見てみましが、能登の駒造に関する記述は見つかりません。
・『兼六園全史』兼六園全史編纂委員会共編 石川県公園事務所共編 兼六園観光協会 1976(K292.2/44)
・『特別名勝兼六園 本編 -その歴史と文化- 』橋本確文堂企画出版室編 橋本確文堂企画出版室 1997.2 (K292.2/153)
・『庭 第118号 能登・小松の庭10選 作庭4代人と技と竹林造園の代々』竜居庭園研究所企画編集 建築資料研究社 1997.11(K629/1009)
6.宝永期に活躍したという駒造が、「加賀藩お抱え」というのなら、藩の扶持を受けて侍帳に掲載されている可能性があるので、一番近い年代の、『元禄侍帳』(森田平次写 K280/5森田文庫)を見てみましたが、「御料理人」「御細工者」の記載はありますが、「庭師」の記載はありません。
7.その他、以下のデータベースも確認しましたが、駒造に関する記述はありません。
・東京大学史料編纂所近世編年データベース(『加賀藩史料』http://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/shipscontroller 確認日:2013-08-08)
・デジタル版石川県史(『石川県史』2編・3編https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11C0/WJJS02U/1700105100 確認日:2013-08-08)
8.なお、当館に所蔵がありませんが、
・『光久寺の茶庭』 玄巣慶瑞/著 玄巣慶瑞 1959
という資料に、駒造についての出典である「光久寺由来」が収録されている可能性もあります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 園芸.造園 (62 9版)
- 参考資料
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- 1 図説富山県の文化財 県指定編 富山県教育委員会?編集 富山県教育委員会 1966.3 709.2/10029/1
- 2 富山県の文化財 富山県教育委員会∥編 富山県文化振興財団 1984.10 709.2/351
- 3 北陸の庭園 橋本確文堂?編集 橋本確文堂 2000.3 629.21/10015
- 4 庭に聴く 北陸名園の四季 善徳寺庭園(富山県城端町) 天を支える巨木 1994.08.14 北陸中日新聞
- 5 能登造園業組合が日帰り研修 2003.07.01 北国新聞(朝刊)
- キーワード
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- 能登の駒造
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000141469