レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年04月01日
- 登録日時
- 2011/12/03 01:25
- 更新日時
- 2011/12/03 01:25
- 管理番号
- 市川20110401-03
- 質問
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解決
東葛飾郡誌によると、大正時代、南行徳で福神漬を大量につくっていたようだが、その頃の南行徳の農業統計を見ることはできるか。
- 回答
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『千葉県東葛飾郡誌』(千秋社 1988)の「南行徳村誌」(生業)の項に大正8年度における主なる産額として、食塩、米、海苔などと「福神漬九万貫」(1貫は3.75 ㎏なので約337 トン)の記載があった。『千葉県東葛飾郡誌』の「農業」の項には「その他主なる蔬菜類」として東葛飾郡全体の大正8年の統計があり、主産地について言及あり。南行徳のみの統計はなかったが、福神漬の材料にもなりそうな蓮根と胡瓜の主産地は行徳であった。
また「諸工業要覧」の項に、明治33 年創業「南行徳山田福神漬工場24,600 貫」という記載があった。(ちなみに『市川市史年表』(市川市 1977)では
「中川屋漬物工場(福神漬)」とあるが創業者は同じ山田箕之助)
インターネットで検索したところ、行徳の郷土史家鈴木和明氏のホームページの掲示板で氏への質問として、南行徳の福神漬についての質問があったが、鈴木氏の回答は「福神漬については、(中略)実態はよく分からないのです。市川市史近代の記述でもこのことに関しては何も触れていないのです。」とのことだった。(現在はWEB 表示不可)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 農業 (610 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000097391