レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年11月29日
- 登録日時
- 2011/11/29 18:46
- 更新日時
- 2012/06/05 09:54
- 管理番号
- 埼浦-2011-078
- 質問
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解決
徳川将軍日光社参の際、尾張・紀伊・水戸の御三家は鴻巣まで中山道を通行しているが、関連文献を紹介してほしい。
- 回答
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以下の資料を紹介する。
御三家の中山道通行について記述のある資料
『鴻巣市史 通史編2 近世』
「第4章第1節 五街道の成立と鴻巣の道」
p165「二 市域の脇街道」忍館林道と主な通行
忍館林道について「正徳四年(1714)十一月、川面村は忍館林道を通る主な通行、日光社参時の門跡や御三家の供奉通行」の通行報告あり。
p269「天保十四年(1843)の一二代将軍家慶の日光社参に供奉する御三家は、大通行で混雑する日光道中を避けて中山道を北上し、箕田の追分から忍館林道を通って日光へ向かっている。」とあり。
『中山道 歴史の道調査報告書 5』
p16、p18
館林道について「この道は、将軍の日光社参の際、供奉する御三家が将軍が通行する日光御成道と日光道中を避けて、中山道から館林道へ入り日光に向かう際通行している。」とあり。
『埼玉・歴史の道50話』
p89「中山道〈下〉大名通行と大通行 前田家など四十九家通行」
日光脇往還、館林道について
『日光脇往還 歴史の道調査報告書 4』
p14「館林道」
「中山道の鴻巣追分(箕田)から分れて袋村(現吹上町)から行田へ入り、行田で日光脇往還と合流する道として館林道がある。(中略)御三家御三卿が通行した道であり、それが後世日光裏街道と称される由縁であろう。」とあり。
『埼玉県史 5 江戸時代前期』
p411「日光裏街道」あり。
『日光佐野路』
日光脇往還を通った日光社参について『徳川実記』を中心に『寛政重修諸家譜』、『徳川書家系譜』、『旗本家百科事典』等からまとめた資料。
『日光佐野路』関連資料より
「日光脇往還と徳川御三家」埼玉県立図書館所蔵なし。
羽生市立図書館を紹介。
- 回答プロセス
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その他調査済み資料
『新編埼玉県史 通史編3 近世1』(埼玉県 1988)
p625-632「日光社参」
『新編埼玉県史 通史編4 近世2』(埼玉県 1989)
p560-563「二 臨時大通行 日光社参」
『新編埼玉県史 資料編15』(埼玉県 1984)
p925-1004「第1章 日光社参」
『日光御成道 歴史の道調査報告書 2』(埼玉県教育委員会 1984)
p74「将軍の日光社参」
『桶川市史 1 通史編』(桶川市 2000)
p271-287「第二節 中山道と桶川宿の成立」
p357-259「交通量の増大と桶川宿」
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 交通史.事情 (682 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
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『鴻巣市史 通史編2 近世』(鴻巣市 2004)
- 『中山道 歴史の道調査報告書 5』(埼玉県教育委員会 1986)
- 『埼玉・歴史の道50話』(埼玉県立博物館編著 埼玉新聞社 2005)
- 『日光脇往還 歴史の道調査報告書 4』(埼玉県教育委員会 1985)
- 『日光佐野路』(平井辰雄著 羽生市古文書に親しむ会 2004)
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『鴻巣市史 通史編2 近世』(鴻巣市 2004)
- キーワード
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- 日光社参
- 御三家
- 中山道
- 日光脇往還
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000097281