レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 京都市図書館 (2210023) | 管理番号 (Control number) | 右中-郷土-45 | ||||||||||||||
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事例作成日 (Creation date) | 2011/11/17 | 登録日時 (Registration date) | 2011年11月19日 02時00分 | 更新日時 (Last update) | 2012年03月10日 16時27分 | ||||||||||||
質問 (Question) | 明治時代,京都(伏見)-大阪間を航行していた淀川蒸気船の名前を知りたい。また図版があれば見たい。 | ||||||||||||||||
回答 (Answer) | 明治元年に出された「淀川水利復興」に関する御沙汰により,淀川に蒸気船が就航しました。 最初に就航したのは,淀川丸です。明治5年には,水龍丸,盛大丸(もしくは鳩丸)の2隻が航行していたもようです。 その後15~16年頃には大阪資本による第一安全丸,伏見資本による第一・第二伏見丸,17年には伏水製作所製造の三戔丸が航行していたと記録されています。 18年に夜間航行が認められると乗客が激増し,蒸気船同士の競争も激しくなりました。共倒れになる危険が出てきたため,20年に船主たちは船を持ち寄り,共同資本による淀川汽船株式会社を設立しました。その頃航行していたのは,前述の第一安全丸,第一・第二伏見丸に加え,第二安全丸,第三伏見丸,大阪丸,六盛丸,改進丸,枚方丸(牧方丸)です。その後,淀川汽船は近江丸,山城丸,近畿丸なども造船しました。 しかし,22年に東海道本線が全通し,43年に京阪鉄道が開通すると,陸運の発達に伴い次第に衰微していきました。 【資料3】【資料7】には,伏見京橋の蒸気船の図があり,<京橋丸><淀川丸>ののぼりが描かれています。(出典:京都名所案内図会) 【資料11】には,伏見港着船の図があります。 【資料2】【資料3】【資料4】【資料8】【資料9】【資料10】には写真があります。 | ||||||||||||||||
回答プロセス (Answering process) | ●伏見の歴史より…【資料1】【資料3】【資料5】【資料6】【資料9】 ●京都の歴史より…【資料7】【資料8】 ●京都の交通史より…【資料2】三戔丸について記載あり 【資料11】 ●京都の商工業・経済史より…【資料4】 ●大阪の歴史より…【資料10】【資料12】 船名の記述が詳しいのは【資料1】【資料10】【資料12】 ただし一部年代や船名が異なる 淀川関連の資料もいくつか調べるが,蒸気船の詳細については記載なし | ||||||||||||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | |||||||||||||||||
NDC |
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参考資料 (Reference materials) |
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キーワード (Keywords) |
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照会先 (Institution or person inquired for advice) | |||||||||||||||||
寄与者 (Contributor) | |||||||||||||||||
備考 (Notes) | |||||||||||||||||
調査種別 (Type of search) | 文献紹介 | 内容種別 (Type of subject) | 郷土 | 質問者区分 (Category of questioner) | 社会人 | ||||||||||||
登録番号 (Registration number) | 1000096969 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |