レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年10月4日
- 登録日時
- 2011/06/30 14:27
- 更新日時
- 2012/01/06 15:41
- 管理番号
- 中央-1-00203
- 質問
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解決
中山道はいつ頃から存在したのか。中世にはあったのかどうか。さいたま市、戸田市、蕨市の境あたりのことが知りたい。石田三成が戦国時代末期に通ったのはわかっている。
- 回答
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◆【資料1】~【資料4】によると、中山道の前身は東山道であるが、道筋が一致しているわけではなく、県内の中山道は戦国末期~近世に整備されたものであることがわかった。
【資料1】『中山道 昔と今』 稲垣進一著 保育社 1983.3
p98 「中山道の前身は東山道と言い、7Cの大和朝廷時代(略)に始まる。」とある。
【資料2】『中山道 歴史の道調査報告書』 埼玉県立博物館編 埼玉県県政情報資料室 1986
p14 「中山道は、古代の道「東山道」と道筋をほぼ一にするが、武蔵国と信濃国の一部ははずれている。したがって県内の中山道に関しては、宿場の起立が概ね近世であると考えられることから新たに街道として整備されたといえる。」とある。
【資料3】『さいたま歴史街道』 吉本 富男編 埼玉新聞社 1990.12
上記以外の情報は無し。
【資料4】『日本歴史地名大系 11 埼玉県の地名』 平凡社 2004.12
p59 中山道の項 「中山道は古代の官道である東山道と同一の地域を通るが、道筋は必ずしも一致しているわけではない。現埼玉県域の道筋は戦国末期に成立していた宿駅を通っており、当時通じていた道路を基にして江戸時代に整備されたものである。」とある。
◆念のため古代の東山道のルートも調査した。【資料5】~【資料7】によると、古代の東山道は今回の質問にある地域を通ってはいないようだということがわかった。
【資料5】『事典日本古代の道と駅』 木下良著 吉川弘文館 2009.3 p108~p115
【資料6】『街道の日本史 17 中山道』 山田忠雄編 吉川弘文館 2001.11
p8 「長禄元年(1557)《略》この時期に浦和―蕨―板橋―江戸ルートの原形が成立したのかもしれない。」とある。
p60~p62 武蔵国府周辺の東山道について
【資料7】『完全踏査古代の道』 武部健一著 吉川弘文館 2004.10
p147~p149 奈良時代の東山道武蔵路について
◆中世のこの地域の街道に関する【資料8】、【資料9】を見てみると、もっぱら鎌倉街道であり、中山道は公道として機能していなかったようである。
【資料8】『戦国の城』 藤木久志監修 高志書院 2005.12
p77~ 中世東国の街道とその変遷について。主に鎌倉街道について考察されている。
【資料9】『浦和市史 通史編1』 浦和市総務部市史編さん室編 浦和市 1987
p399~p402、p623 中世の街道としては、鎌倉街道にのみ言及。戦国期の中山道について、「公道としての機能や設備をもっていなかった《略》裏道的なものであった」としている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 交通史.事情 (682)
- 参考資料
- キーワード
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- 中山道
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000088007