断片的ではあるが「龍虎隊」について記述している資料があった。
しかし、龍虎隊の組織の名簿や藤川三渓とともに逮捕された農兵隊員の名前については
確認できなかった。以下、調査の詳細。
・『香川県史 4(通史編 近世2)』(香川県/編 四国新聞社 1989年)
[当館請求記号:K2100 K3 4-4]
第十七章 幕末社会情勢と讃岐の動向 第二節 高松藩の動向 三、海防の強化と
農兵取り立てに、「文久三年(1863年)藤川三溪は上書し郷兵を訓練することを請願した。
彼は先に長崎で高島秋帆について西洋砲術を学んでいた。」
「その作「叩心編」によると、三溪はすでに農兵取立てを郡監に申し入れ、頼該(左近)が
これに応じ、試みに農兵訓練を命じた。その数は五四五人で「時に夏天にあたり、暑熱酷烈、
五百余人皆銃を肩に繰出し、一人の笠を載く無く、徒跌土に座し、遂に身を扇ぎ喘々憩息
する者あらず。公子これを見て笑って曰く、今日の海防唯土兵用るに足る、実に汝の言の如し」
とある。三溪は更に一人一人を調査し、彼らをその志により軍に用い、以て大いに国力を
振起せんことを請うた。隊は龍虎隊と名付けられ、頼該は自製の軍旗を与えて激励したという。」
と記している。(581頁)
(注:頼該は、第八代高松領主松平頼儀の長男松平頼該のこと。)
また、三渓の積極的な行動は藩内保守派の反感を買い、八月十八日の政変による
中央情勢の変化もあって、十月、鶴屋町の獄に繋がれ、以後六年間獄中に呻吟する
ことになるとの記述がある。
しかしながら、龍虎隊の組織の名簿や藤川三渓とともに逮捕された農兵隊員の
名前については、触れていない。
・『藤川三渓人と業績』(天川維文/著・発行 1982)
[当館請求記号:K2890 F4 3]
前述『香川県史 4(通史編 近世2)』に紹介されている「叩心編」の龍虎隊に関する
箇所は、本書に、「上書請練郷兵」(郷兵の訓練を請う)と題して読み下し文が掲載
されている。(44~45頁)
龍虎隊の名簿については、「・・・その志の真偽をよく観察し、又その父母に質問し、
又其の近隣や親戚の人にも聞いて丁寧に検査し、皆の賛成するものを帖簿に
のせたのが四百六十七人である。」とあるが、その名簿が現存しているかなど
については、本書の記述からは不明。
また、本書には、藤川三渓が獄中で綴った『拝日楼詩』の一部が紹介されているが、
こちらにも、藤川三渓とともに逮捕された農兵隊員の名前については、触れていない。
(55~61頁)
・『天下太平の礎-藤川三渓と日柳燕石』(井下香泉/著 讃岐先賢顕彰会 2007年)
[当館請求記号:2890 F4 11]
本書五、藤川三渓 獄中の活動に、「龍虎要略」の原文(漢文)、読み下し文及び解釈が
掲載されている。(76~78頁)
「龍虎要略」は、藤川三渓が獄中において、龍虎隊の訓練要領を詩の形であらわしたもの。
なお、龍虎隊の組織の名簿や藤川三渓とともに逮捕された農兵隊員の名前については、
触れていない。
・『三谷郷土史』(三谷郷土史編集委員会/編・発行 1988年)
[当館請求記号:K2310 M4]
第四十四章諸家人物群像 五三、人間藤川三渓(559~562頁)や五四、獄中の三渓
(563~564頁)に、龍虎隊の献策や投獄された事実について触れているが、龍虎隊の
詳細やともに投獄された農兵隊員の名前については触れていない。
・『讃岐人物風景 10(維新の旗手たち)』(四国新聞社/編 丸山学芸図書 1984年)
[当館請求記号:K2810 S3 2-10]
本書藤川三渓の章に民兵募集で龍虎隊の節(13~19頁)があるが、龍虎隊や
投獄については、前記『香川県史 4(通史編 近世2)』の内容を超えるものとは
なっていない。
・『徳島文理大学文学論叢 第27号』(徳島文理大学文学部文学論叢編集委員会/
〔編〕・発行) 2010年) [当館請求記号:K3705 T12 1-27]
本書に、「高松藩における農兵と高島流歩兵」(木原溥幸/著)が収録されているが、
「龍虎隊」についての記述は確認できなかった。(49~79頁)