レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009/02/13
- 登録日時
- 2009/05/09 02:11
- 更新日時
- 2009/11/20 14:02
- 管理番号
- 埼熊-2008-148
- 質問
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解決
羽生市須影にあった蓮華寺(廃寺)について知りたい。明治初めの廃仏毀釈により廃寺になったらしい。
- 回答
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以下の資料を提供した。
1 蓮華寺の記述があった資料
『埼玉県の地名』
p923「須影村」に「別当は新義真言宗蓮華寺、東曜(東養)寺はその門徒寺であった。」とあり。
『武蔵國郡村誌 13』
p15「古跡 蓮華寺廃跡」に「村の西方にあり明治5年廃して今は荒無の地となれり。」とあり。
『新編武蔵風土記稿 10』
p298「須影村」に「別當蓮華寺 新義真言宗、京都智積院末、月光山清淨院と号す、開山長義寛永7年9月21日示寂、本尊は不動なり。」とあり。
『羽生市史 上』
p287「下新郷大光院は、大河内金兵衛久綱が再興した。須影の蓮華寺(現在廃寺)に金兵衛の位牌があったといわれ…」とあり。
『羽生市史 下』
p120「4 廃仏毀釈」に「須影村蓮華寺の廃寺の際、仏像・仏具等は、村内の有力者によって処分され、現在それらの家に所蔵されている。」とあり。
『江戸幕府寺院本末帳集成 中』
p1579「新義真言宗智積院配下寺院帳 埼玉郡須影村 一 蓮華寺 本寺智積院 後朱印社領十九石五斗余」とあり。
『羽生ふるさと探訪』
p141-142に八幡宮について「八幡宮の管理は蓮華寺(須影墓地の付近・明治初期廃寺となる)が当たった。」とあり。
『新編埼玉県史 資料編10』
p184「武蔵志 埼玉郡」内、須影の記述の中に「蓮華寺 新義真言宗智積院末」とあり。
『埼玉県北埼玉郡史 全』
p56「須影村 観音堂」に「千手観音ニテ立像一尺運慶ノ作ナリ、蓮華寺三世ノ僧淳惠万治元年九月起立ス。」とあり。
『埼玉の神社 入間北埼玉秩父』
p1014「八幡神社」に「社頭のにぎわいを伝える話に、神社の前に湯屋があり、蓮華寺・八幡社を参詣の後、この湯に浴すると心身が健全になるといわれ、大いに盛ったが、神仏分離とともに消えていったという。」とあり。
2 別当最後の住職潮元の記述のあった資料
『埼玉の神社 入間北埼玉秩父』
p1014「八幡神社」に「安政四年から慶応元年まで八年の歳月を費やして、今日の本殿と拝殿を造営している。」とあり。
『羽生市史 上』
p634-635に、潮元についての記述あり(「須影地区郷土史年表」からの引用)。
あわせて、『羽生市史 上』の出典である「須影地区郷土史年表」(県内公共図蔵)を紹介した。
- 回答プロセス
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埼玉県の地誌や羽生市の歴史、埼玉県の神社に関する本を調査した。。
- 事前調査事項
- NDC
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- 寺院.僧職 (185 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
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- 『埼玉県の地名』(平凡社 1993)
- 『武蔵國郡村誌 13』(埼玉県立図書館 1955)
- 『新編武蔵風土記稿 10』(雄山閣 1977)
- 『羽生市史 上』(羽生市 1971)
- 『羽生市史 下』(羽生市 1975)
- 『江戸幕府寺院本末帳集成 中』(雄山閣出版 1981)
- 『羽生ふるさと探訪』(羽生市古文書に親しむ会 1989)
- 『新編埼玉県史 資料編10』(埼玉県 1979)
- 『埼玉県北埼玉郡史 全』(名著普及会 1974)
- 『埼玉の神社 入間北埼玉秩父』(埼玉県神社庁 1986)
- キーワード
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- 埼玉県-地誌
- 神社-埼玉県
- 寺院-蓮華寺(廃寺)-羽生(ハニュウ)市-埼玉県
- 郷土資料
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 定番事例-参考資料-新編埼玉県史-解決
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000054583