レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009/01/14
- 登録日時
- 2009/01/15 02:10
- 更新日時
- 2009/02/02 10:30
- 管理番号
- N2009T0101
- 質問
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解決
明治時代の万博に出品された日本の美術品の中に、蝉文様をあしらったものはないか。
19世紀後半頃に、ルネ・ラリックやエミール・ガレが蝉文様をあしらった作品を残しており、これらは日本の美術品に影響を受けたものと考えられる。パリなどの万国博覧会の出品物を参考にしたのではないかと思うので、出品図録のようなものがあれば見たい。
- 回答
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万国博覧会出品作品について調べるには、下記のような資料があります。
◆『明治期万国博覧会美術品出品目録』東京国立文化財研究所美術部編 中央公論美術出版 1997.5(当館請求記号K3-G53)
明治期に日本から出品された作品名が博覧会ごとに一覧できますが、図版は掲載されていません。また、作品名から文様が判明するものは一部です。
◆国立国会図書館所蔵博覧会関係資料目録 / 田中克彦(『参考書誌研究』44 1994.8 pp.48-121 当館請求記号Z21-291)
出品目録類も含め、博覧会ごとに関連資料を調べることができます。
また、お尋ねの件に関連する記述や図版が以下の資料に見られます。
◆『エミール・ガレ : その陶芸とジャポニスム』フィリップ・ティエボー,フランソワ・ル・タコン,山根郁信著 麻生妙子訳 平凡社 2003 (当館請求記号KB421-H8)
pp.123-180 エミール・ガレが所蔵していた日本の画帖 / 山根郁信
ガレの蛙の素描の元になった『北斎漫画』の図版(p.130)が掲載されており、蛙と同じ頁に蝉も描かれています。p.129には、1867年のパリ万博で「幕府による出品物のなかに『北斎漫画』一四冊(一両一分余)が入っており、万博閉会後、これらの展示物品はパリで売却されたという」との記述があります。
ただし、同じ文献のp.131には、1860年代半ばにはパリで日本の文物を扱う店が開店しており、これらの店でも『北斎漫画』を売っていた可能性があるとの指摘があり、ガレが『北斎漫画』を知ったきっかけが万博であるとは言い切れないようです。
◆『明治の輸出工芸図案 : 起立工商会社の歴史 : 日本文様図集』樋田豊次郎著 京都書院1998(当館請求記号KB242-G23)
p.86に、植物と蝉を取り合わせた蒔絵図案があります。
起立工商会社の製品は博覧会にも盛んに出品されていましたが、この図案を配した作品が出品されたかどうかについては記述がありませんでした。
なお、下記資料によれば、当時のパリでは万博以外にも日本美術に触れる機会は多々あったことがわかり、ガレやラリックの作品に影響を与えたのは万博出品作品のみに限られないようです。
◆『ジャポニスム展図録』国立西洋美術館 1988 (当館請求記号K16-E167)
pp.43-79 ジャポニスム関連年表 / ジュヌヴィエーヴ・ラカンブル(馬渕明子訳)
日本の書物や骨董品の店、日本美術を紹介する雑誌、万博以外の各種展覧会などについての記述があります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 芸術史.美術史 (702 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 蝉文様
- 万国博覧会
- ルネ・ラリック
- エミール・ガレ
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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ガレまたはラリックによる蝉文様の作例には、下記のようなものがあります。
・『エミール・ガレ展 : 没後100年記念』サントリー美術館 2004(当館請求記号KB16-H359)
p.30「昆虫文水差」(1878頃)
・『ルネ・ラリック : 光への軌跡』池田まゆみ著 平凡社 2005(当館請求記号KB421-H14)
p.56「香水瓶《四匹のセミ》」(1910)
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000050706