レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008/01/30
- 登録日時
- 2008/07/04 02:11
- 更新日時
- 2008/07/23 16:44
- 管理番号
- 埼熊-2007-113
- 質問
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解決
昭和40年頃の資料に出てくる「米津風月堂」の読みを知りたい。みゆき通り(銀座)にあったようである。
- 回答
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《東京風月堂》のWebサイトおよび下記資料より、明治5年〈米津松造〉氏が両国若松町に「米津風月堂」を開業、明治10年に銀座6丁目に分店を開設。昭和21年に米津修二氏が株式会社米津風月堂を設立。〈米津〉の読みについては「よねつ」「よねづ」と二とおりある。以下紹介する。
参考資料
①『事典近代日本の先駆者』(日外アソシエーツ)
②『図説明治人物事典 文化人・学者・実業家』(日外アソシエーツ)
上記①②には〈米津松造(よねつまつぞう)〉
③『東京風月堂社史』の文中「東京絵入新聞」明治14年12月27日の記事には〈米津松造(よねづまつざう)〉「菓子新報」明治42年1月10日の記事には〈米津風月堂(よねづふうげつだう)〉とあり。
④『日本大百科全書 5』(小学館)「菓子」の項〈米津松造(よねづ)〉
⑤『日本食文化人物事典』(筑波書房)〈米津松造(よねづまつぞう)〉
⑥『講談社日本人名大辞典』(講談社)には松造の次男〈米津恒次郎(よねづつねじろう)〉とあり。
- 回答プロセス
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《東京風月堂》のWebサイトにある米津風月堂の祖〈米津松造〉から調べる。
(www.tokyo-fugetsudo.co.jp 東京風月堂 2008/01/30最終確認)
『人物レファレンス事典 明治・大正・昭和』p2161「よねつまつぞう(1839-1908)」とあり、各種人名辞典にあたる。
その他に〈風月堂〉関係資料から「よねづ」の読みが見つかり、さらに調査を進める。
《NDL-OPAC》の著者名、《日経テレコン21》の人事検索では、風月堂の嫡男〈米津春日〉の苗字は「よねづ」とあり。
以上により、県立図書館所蔵資料を中心に2通りの読みがあることを紹介する。
- 事前調査事項
- NDC
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- 食品工業 (588 9版)
- 衣食住の習俗 (383 9版)
- 日本 (281 9版)
- 参考資料
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- 『事典近代日本の先駆者』(富田仁 日外アソシエーツ 1995)
- 『図説明治人物事典 文化人・学者・実業家』(日外アソシエーツ)
- 『東京風月堂社史』(「東京風月堂社史」編纂委員会 東京風月堂 2005)
- 『日本大百科全書 5』(小学館)
- 『日本食文化人物事典』(西東秋男 筑波書房 2005)
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『講談社日本人名大辞典』』(講談社)
- キーワード
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- 風月堂(ふうげつどう)
- パン・菓子製造業
- 社史
- 人名辞典
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 言葉
- 質問者区分
- その他
- 登録番号
- 1000045522