レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年11月17日
- 登録日時
- 2022/07/31 15:16
- 更新日時
- 2022/10/05 17:38
- 管理番号
- 相橋-R4-011
- 質問
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解決
「コロンタイズム」について書かれている本を探している。
- 回答
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①~⑤を提供した。後日、⑥~⑬が見つかった。
- 回答プロセス
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検索エンジンGoogle(http://www.google.co.jp/ 2021/11/17/ 最終確認)にてキーワード“コロンタイズム”にて検索したところ、以下の資料が見つかった。
『コトバンク』「コロンタイ(読み)ころんたい(英語表記)Александра Михайловна Коллонтай/Aleksandra Mihaylovna Kollontay」(https://kotobank.jp/word/%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%A4-67046 2021/11/17/ 最終確認)の項に、「小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) [コロンタイ]の解説 コロンタイ ころんたい Александра Михайловна Коллонтай/Aleksandra Mihaylovna Kollontay(1872―1952) ロシアの女性運動家、作家、外交官。ロシア帝国陸軍の将軍の娘として生まれるが、革命運動に関心を寄せ、離婚してスイスに留学。チューリヒ大学卒業後、社会民主党に入って活躍し、1915年ボリシェビキ派(共産党)に転じ、革命後、福祉人民委員、党婦人部長などの要職につき、1923年から世界最初の女性大使としてノルウェー、メキシコ、スウェーデンに駐在した。数か国語に精通した雄弁家として人気を博し、多くの著作を発表して女性解放運動の理念と実践に足跡を残している。『赤い恋』(原題「ワシリーサ・マルイギナ」)『三代の恋』『姉妹』からなる小説集『働き蜂(ばち)の恋』(1923)や、長編小説『偉大な恋』(1927)を通して、[性的欲望や恋愛の満足は、一杯の水を飲むようなものだ]といって性の自由を説く[水一杯理論]が、俗に[コロンタイズム]とよばれて世界に広まった。野上弥生子(やえこ)の『真知子(まちこ)』で知られるように、日本でも昭和初期の左翼運動のなかで[赤い恋]のことばが流行した。」との記載あり。
市内OPACにてキーワード“コロンタイ”で検索したところ、以下の資料が見つかった。
①『二〇世紀ロシア文学アンソロジー』 ユーリイ・リベジンスキイ/著 杉山秀子/編訳 新樹社 2002 (自館請求記号:983)
p215-229「姉妹……アレクサンドラ・コロンタイ」の項あり。該当の記載なし。
p274-275「訳者あとがき」の項に、「アレクサンドラ・コロンタイ」についての解説あり。「コロンタイズム」についての記載なし。
②『恋愛の昭和史』 小谷野敦/著 文藝春秋 2008 (自館請求記号:B910.26)
p125-130「第六章 女たち、性を描く―宮本百合子、コロンタイ 新時代の自由恋愛―コロンタイズム」の項に、該当の記載あり。
市内OPACにてキーワード“ノガミヤエコ”で検索したところ、以下の資料が見つかった。
③『新潮日本文学アルバム 32』 新潮社 2001 (自館請求記号:910.2)
p65-69「『真知子』(昭和2年~昭和10年)」の項に、『真知子』(昭和6年4月刊)と、関連の資料や人の写真や解説あり。「コロンタイズム」についての記載なし。
④『野上弥生子全集』 第7巻(自館請求記号:918.8)
p3-38「真知子」の項に、本文あり。「コロンタイズム」についての記載なし。
調べものコーナー“哲学”の書架をブラウジングしたところ、以下の資料が見つかった。
⑤『岩波哲学・思想事典』 廣松渉/(他)編 岩波書店 1998 (自館請求記号:R103)
p553「コロンタイ」の項に、「コロンタイズムと呼ばれたその思想は、結婚・恋愛は私事、家事・育児は国家・社会の事業とし、結婚登録制度廃止、制度や性的関係に束縛されない男女の精神的結合、育児・家事の社会化を柱とする。『家庭と共産主義国家』(1919)『経済発展における女性労働』(1928)、『赤い恋』の訳名で世界的話題になった小説『働き蜂の恋』(1923)が代表作。」と、該当の記載あり。
後日、調べものコーナー“女性問題”の書架をブラウジングしたところ、以下の資料が見つかった。
⑥『WOMEN女性たちの世界史大図鑑』 ホーリー・ハールバート/他監修 戸矢理衣奈/日本語版監修 河出書房新社 201911 (自館請求記号:R367)
p214「エンパワーメントの時代 1914-1960 革命の赤い波 共産主義の台頭」の項に、
年表1800-1900「1920年代 アレクサンドラ・コロンタイが共産党内の性別の多様性を高めようとしたが、反発に遭う。」との記載あり。該当の記載なし。
p215-216「エンパワーメントの時代 1914-1960 革命の赤い波 共産主義の台頭 レーニンを撃った女性」の項に、「-前略- 1919年には共産党女性部(ジェノーデル)が設立されたが、その短い歴史のあいだ(1930年に廃止)、党幹部からはずっと軽んじられていた。女性部を設立した活動家アレクサンドラ・コロンタイは、共産党の性別の多様性を高めようとしたが、ほとんどの党員は、自分の妻である女性を政治活動家としてみるのを嫌がった。それでも、女性はある程度の前進はなし遂げた。1917年には選挙権を得たし、離婚も簡単になった。同時に、社会での役割も増していき、1930年代には多くの女性が家庭の外で、教師や医師、エンジニアとして働くようになった。とはいえ、共産党が男女平等についての美辞麗句を並べようとも、女性をまずは母親や妻としてみる考え方は変わらなかった。」と、該当の記載あり。
⑦『世界女性史年表』 カレン・グリーンスパン/著 明石書店 2003 (自館請求記号:R367)
p388「1927 文化」の項に、「アレクサンドラ・コロンタイ(1872-1952、ロシア) A Great Love (『大いなる恋』)を出版。彼女のフェミニスト的な考えは、レーニンと意見を異にしていたが、レーニン政権下で、女性として最高の地位に就く。」との記載あり。「コロンタイズム」についての記載なし。
⑧『世界女性史大事典』 L.ブレイクマン/編 日外アソシエーツ 1999 (自館請求記号:R367)
p318-319「1872年4月1日 初期のソビエト連邦の著名な女性アレクサンドラ・コロンタイ、誕生」の項に、「初期のソビエト連邦は、現在の東ヨーロッパの一部とロシアを含むが、最も著名な女性アレクサンドラ・ミカイロブナ・ドモントヴィッチ・コロンタイ(Aleksandra Mikhailovna Domontovich Kollontai,1872-1952)が、ロシア人の将校の娘としてサンクト・ペテルスブルグで生まれる。1893年に同国の貴族のV.L.コロンタイと結婚するが、1896年にスイスのチューリッヒ大学で勉強するために、夫とちいさい息子を残して行く。コロンタイは抑圧された大衆に関心を示し、社会主義の教義を認めるようになる。世紀末の[多産な]作家として、女性の自由な恋愛と完全な男女平等を主張する。1914年頃、ウラジミール・レーニン指導下の急進的なボルシェビキ党に入党。ボルシェビキ党がロシアを崩壊させた後、コロンタイは新生ソ連邦で最も影響力のある女性となり、救貧人民委員、そして与党共産党の“Zhenotdel”(ジェノットデール)という党婦人部長になる。ノルウェー、メキシコ、スウェーデンの外交官を務め、現代において正式に大使として派遣された初めての女性である。1945年に退官。」と、該当の記載あり。
⑨『岩波女性学事典』 井上輝子/編 岩波書店 2002 (自館請求記号:R367)
p400-401「フェミニズム 695 第一波フェミニズム」の項に、「-前略- ツェトキンは、労働者階級の女性を主体とする運動を指導し、同一労働同一賃金の原則などを主張した。コロンタイは、『女性問題の社会的基礎』(1908年、邦訳名『新婦人論』46年)を著わし、ソ連成立後は母子保健と女性解放のために尽力した。」との記載あり。
⑩『フェミニズム事典 新版』 リサ・タトル/著 明石書店 1998 (自館請求記号:R367)
p406「What Is to Be Done?『何をなすべきか』」の項に、「1864年に出版されたニコライ・チェルヌイシェフスキー作のロシア小説。彼の三人の友達の三角関係に基づいて書かれ、性的自由の必要性を描いたドキュメンタリーの傑作であり、50年以上、ロシア女性の地位向上のためのバイブルとみなされ、アレクサンドラ・コロンタイなどの女性たちを鼓舞した。小説のなかで女主人ベーラ・パブロブナは、自立、愛、仕事が必要であることを認識するにつれ、女性としてだけでなく人間としての意識に目覚めていく。」との記載あり。
⑪『フェミニズム歴史事典』 ジャネット K.ボールズ/編著 ダイアン・ロング・ホーヴェラー/編著 明石書店 2000 (自館請求記号:R367)
p152「Kollontai,Alexsandra コロンタイ,アレクサンドラ(1872-1952)」の項に、 「ロシア社会民主党[のち共産党](Russian Social Democratic Party)における最も初期の頃のフェミニスト社会主義者。1905年以後は労働者階級の女性の組織化の責任者であった。レーニン政権における唯一の女性人民委員[大臣](公的扶養と公共福祉の)は、その後党中央委員会女性部(Zhenotdel)の筆頭となった。「女性問題の社会基礎」(“The Social Basis of the Woman's Question”,1908)といったような影響力の大きい論文を通して、彼女は共同家事や無料の母体保護や中絶の合法化や、離婚で容易に終結できる平等結婚を推進した。自分自身のセクシュアリティを管理したり享受したりする女性の権利の提唱や、彼女個人の性的行動のために、最終的にはレーニンからの支持を失った。1922年には人民委員職から離れ、祖国を離れて、あまり重要でない外交官の地位に就いた。」と、該当の記載あり。
⑫『現代フェミニズム思想辞典』 ソニア・アンダマール/(他)著 明石書店 200003 (自館請求記号:R367)
p202「Marxist feminism マルクス主義フェミニズム」の項に、「-前略- 修正主義の必要性は、20世紀初頭に出現したマルクス主義フェミニストの世代、とくにロシアのアレクサンドラ・コロンタイ(Kollontai 1977)、ドイツのクララ・ツェトキン、そしてアメリカで無政府主義フェミニストとしてより適切に記述されたエマ・ゴールドマンの著述に見ることができるだろう。(Goldmann 1970)。彼女たちは、性的関係や家族における抑圧的な人間どうしの振る舞い、家庭生活一般の問題、マルクス主義政党の政治的宣言書のアジェンダ、理論分析、新しいソ連での共産党国家の政策といった、生産のパラダイムを越えた諸問題を取り上げようとした。レーニンを含む男性の同僚は、この仕事を怪しげに眺めただけで、また、政党の女性部門は1920年代の終わりにスターリンによって解体されてしまった。 -後略-」と、該当の記載あり。
⑬『フェミニズム理論辞典』 マギー・ハム/著 明石書店 1999 (自館請求記号:R367)
p86「Economics 経済学」の項に、「富の生産と消費に関する理論。アレクサンドラ・コロンタイは初期フェミニストとしての著書『共産主義と家族』(1920)で、経済学への批判を行なった。彼女は古い社会形態の崩壊は経済的必然であると考え、また家事労働の集団化が女性解放の力たりうるとした。[Kollontai 1977]。 -後略-」との記載あり。
p160「Kollontai,Alexsandra コロンタイ,アレクサンドラ」の項に「ロシアの社会主義フェミニストで、1917年のボルシェヴィキ政府の人民福祉委員。『女性問題の社会的基礎』(1908)、『社会と母性』(1916)、『共産主義と家族』(1926)において、コロンタイは男女同権論を展開した。母性と子どもの発達を重視するという点でコロンタイは、女性の経験に関する思想については、アメリカのフェミニストであるパーキンス・ギルマンに近い。[Kollontai 1977]。」と、該当の記載あり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 家族問題.男性.女性問題.老人問題 (367)
- 参考図書[レファレンスブック] (103)
- 日本文学 (910)
- 参考資料
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- 『岩波哲学・思想事典』 廣松渉/(他)編 岩波書店 1998
- 『恋愛の昭和史』 小谷野敦/著 文藝春秋 2008
- 『世界女性史大事典』 L.ブレイクマン/編 日外アソシエーツ 1999
- 『WOMEN女性たちの世界史大図鑑』 ホーリー・ハールバート/他監修 戸矢理衣奈/日本語版監修 河出書房新社 2019
- 『フェミニズム歴史事典』 ジャネット K.ボールズ/編著 ダイアン・ロング・ホーヴェラー/編著 明石書店 2000
- 『現代フェミニズム思想辞典』 ソニア・アンダマール/(他)著 明石書店 2000
- 『フェミニズム理論辞典』 マギー・ハム/著 明石書店 1999
- 『日本大百科全書 9 2版 こうは-さう』 小学館 1994
- キーワード
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- コロンタイ
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000319384