レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2018/10/08 14:59
- 更新日時
- 2018/10/18 16:00
- 管理番号
- 中央-1-002090
- 質問
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解決
日本では、いつからどのような理由で、1日3食が定着したのか?また、おやつはどのような位置づけか?
- 回答
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以下の資料を紹介しました。
・『日本の食文化 昭和初期・全国食事習俗の記録』成城大学民俗学研究所/編 岩崎美術社 1990年
p631 日本食事概要一覧表というものが載っています。地域ごとの食事の時間帯が記載されています。1日3食の定着については記載なし。
・『全集日本の食文化 第10巻 日常の食』芳賀登/監修 石川寛子/監修 雄山閣出版 1997年
p37 慶応2年の献立帖
p237 菓子について記述されています。
・『日本を知る事典』大島建彦/[ほか]編 社会思想社 1980年
p365 「日に三回の食事が普通になったのは江戸中期になってからで」との記述があります。
・『日本風俗史事典』日本風俗史学会/編集 弘文堂 1994年
p320 「江戸時代には昼食が固定して三度食となり」との記述があります。
・『日本人のひるめし』酒井伸雄/著 中央公論新社 2001年
p24 (3)「ひるめし」のはじまり
「鎌倉時代の初期には、朝廷を含めた公家社会では一日三回の食事が定着していた」との記述あり。
p30 「武家では昼食を食べることは昔はなかった」との記述あり。
・『食生活の歴史』瀬川清子/[著] 講談社 2001年
p205 「中世までは一日二食が普通」、「烈しい労働をする者には、間食を給していた」、「いつの間にかその間食が朝食と夕食の間にわりこんで昼食になり、一日三食が正規の食事になった」との記述あり。
・『日本民俗大辞典 上 あ~そ』福田アジオ/[ほか]編 吉川弘文館 1999年
p861 “しょくじ”
「平安時代は一日二食で労働力の激しい者などが間食をとったという。次第に間食が固定化して中食(昼食)になり、中世から近世にかけて一日三食になり、定着した」との記述あり。
・『絵でよむ江戸のくらし風俗大事典』棚橋正博/編著 村田裕司/編著 柏書房 2004年
p188 「日本人の一日の食事の回数が従来の朝夕二回から昼が加わって三回に変わり、それが定着するのは、江戸時代になってから」との記述あり。
・『図録・近世武士生活史入門事典』武士生活研究会/編 柏書房 1991年
p195 「朝夕二食に加え、夜食が出されている。これが、一日三食の原型であり、その習慣は元禄年間に広まった」との記述あり。
・『図説江戸時代食生活事典』日本風俗史学会/編 雄山閣出版 1996年
p89 “かんしょく 間食”(おやつについて)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000243504