レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019/05/20
- 登録日時
- 2019/12/25 00:30
- 更新日時
- 2020/01/31 00:30
- 管理番号
- 6001040729
- 質問
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解決
太平洋戦争下で抗マラリア薬を製造していた会社について書かれた資料はあるか。あれば、資料と掲載箇所を教えて欲しい。
- 回答
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太平洋戦争中のマラリア薬の製造についての情報が掲載されている以下の資料(主に社史資料)を紹介した。
(【】は当館の請求記号)
『シオノギ百年』塩野義製薬 1978.3 533p【499/181N/】資料番号:1419049877
「キナ栽培に着手」p202-204 ※太平洋戦争以前の記述も含まれている。
・昭和9年、同社は輸入硫酸キニーネの40%を取り扱うほどになっていたが、昭和8年、キネ皮を原料とするキニーネ製造設備も完成、同時に社員をジャワ派遣して、キナ皮の入手調査にあたる。
・候補地は台湾に変更され、昭和9年、高雄州下の官有蕃地(台湾の高砂族の居住地)八〇〇ヘクタール(二四二万坪)が候補地に。
・昭和11年、同地にキネの植え付けを開始。同18年キナ皮の収穫が開始される。国内でのキナ皮加工が検討されていたが、戦争の激化で輸送が困難になり、高雄工場での加工が検討される。
・昭和19年(1944)に火入れ式までしていたが、内地から送られた機械・器具は途中で輸送船が撃沈されたため、キニーネの生産ができなくなり、キナ粉末の生産に切り替えられる。
本文中に「キニーネは、当時マラリア治療剤のとして重要軍需品であり」という一文がある。
「戦時下の新発売品」p.216-218
「またマラリア治療剤は、南方政策に不可欠の薬品であったが、輸入品が途絶したため、軍の命令により塩野義でも十五年から「ホモヒン」(局方ヒノラミン)、「アタビル」(局方アクナミン)を製造し、軍管理工場となった」と記述されている。
ほか、昭和11年に高雄以外にジャカルタで接収したオランダ農園でキナ栽培を行ったとある。p.218
「決戦体制下の生産」p230-233
・抗マラリア剤のアクリナミンを戦場に送る際、析出がうまくいかなかったが、予定通りに納期できたとの記載がある。 p231
*「南方地域への進出」p218-221
直接の記載はないが、南方地域での同社の活動について記載がある。
『大日本製薬六十年史』大日本製薬 1957.5 283p 【499/202N/】 資料番号:1416255881
第三章 「昭和のあゆみ」うち 第二節 「戦時体制の時代」p116-128
・「この時代における新薬の発売」の項目に「アクリナミン」がある。(3行程度)p128
※なお、本資料については国立国会図書館デジタルコレクションの図書館送信資料としても公開されている。(永続的識別子:info:ndljp/pid/2426462 91コマ)。
『大日本製薬八十年史』大日本製薬 1978.5 379p【544.4/1437/#】資料番号:1514444213
「激動の中で」p69-86
・「アクリナミン」の説明あり。ただし、内容は『六十年史』とほぼ同じものと思われる。p83
・吹田工場に関する記述があり、同工場内で「抗マラリヤ剤アクリナミン」の製造を開始した、と記述されている。p84-86
『大日本製薬100年史』大日本製薬 1998.5 550p 【499/135N/】資料番号:1416097630
「国内生産・営業活動の進展」p58-60
・同社が他社に先駆けてマラリア治療薬として「アクリナミン」を開発したとの記述があった。p59
ほか、「マラリア」の項目を索引では確認はできなかった。
『三共六十年史』 三共 1960 338p 【499/242N】 資料番号:1416366639
第3編 統制時代(自 昭和十二年 至 昭和二十年) 第2章 海外進出
③、南方方面 p125-128
p125-127 南ボルネオ事業所
・南ボルネオ島事業所についての説明があり、p126にはバンジェルマシン市の工場について「製品は初め民生部委託のキニーネ錠および二、三の製品だけであったが…」との記述がある。また、p127には「・・・パルックパパン事業所においても制約が必要となり、キニーネ代用丸剤キニーネ丸、皮膚病薬石灰硫黄合成剤の製造に従事した。」との記述がある。
『三共八十年史』 三共 1979 453p 【499.5/15N】 資料番号:1416366902
第三章 戦時体制の中で (昭和十二年~昭和二十年) 第2節 太平洋戦争前後
二、南方方面への進出 p64-66
ボルネオ地区 p64-65
・ボルネオ地区についての説明があり、p64にはバンジェルマシン市の工場について「…初め民生部委託のキニーネなど製造していたが…」との記述がある。また、p65には「…パリックパパン事業所においても薬品の自給が必要となり、キニーネ代用丸剤キニーネ丸などを製造したが…」との記述がある。
『三共九十年史』 三共 1990 509p 【499/18N】 資料番号:1416360384
・第三章 戦時体制のなかで (昭和十二年~昭和二十年) 第二節 海外展開への足跡
二、東南アジアへの進出 p34-36
ボルネオ(カリマンタン) p34-35
・ボルネオでの事業についての説明があり、p35には「…初め民生部委託のキニーネなど製造していたが…」との記述と「その後、パリックパパン事業所でもキニーネ代用丸剤キニーネ丸などを生産した…」との記述がある。
『三共百年史』 三共 2000 20,503p 【499/322N】 資料番号:1416559704
第三章 戦時統制下の経営(昭和十二年(1937)~昭和二十年(1945)) 第3節 太平洋戦争下の経営 2 東南アジアへの進出 p99
南ボルネオ事業所 p99
・南ボルネオ事業所についての説明があり、『三共八十年史』『三共九十年史』と同様にキニーネについての記述がある。また、欄右の注(*)に、パンジェルマシン工場での製品についての紹介があり「パンジェルマシン工場で製造した製品は…硫酸キニーネ錠…」との記述がある。
『武田百八十年史』 武田薬品工業株式会社内社史編纂委員会 1962 768p 【544.4/209】
資料番号:1419049760
第七章 六 昭和前半期の発展
(1)事業の発展 十二年ないし十八年ころ p344-346 ※太平洋戦争以前の記述も含まれる。
・満州事変以後の事業の状況についての説明があり、p344に生産していた新製品の薬剤等の紹介があり、「十五年にエ・エ・バクノン(水溶性キニーネ注射液)」が紹介されている。
(2)機構改革・研究部・薬草園・その他 p348-355
・機構改革のところで、「(四)農事部 チカネリ栽培株式会社をはじめ、台湾・沖縄および内地の農園を管理統括する。」との記述がある。p349
・同じ頁の「研究部」についての説明の箇所で、「昭和元年から十八年までの間に行われた研究は、千百余篇に上る報告として提出されているが、その主なのものは次の通りである。…濃厚(二十五%)塩酸キニーネ注射薬(バグノン)…」との記述がある。
第十章 関連会社 三 海外における関連会社 (3)南方地区 p608-635
・キニーネ薬剤の原料となる「キナ」の生産・確保、また、キニーネの生産工場について、写真や一覧表等をふまえて、比較的詳細に記述がある。
『武田二百年史』本編 武田薬品工業株式会社内社史編纂委員会 1983 1145p 【544.4/1745】 資料番号:1514446150
第Ⅲ章 昭和戦前・線中期の薬業
第Ⅱ節 昭和初期の当社 ※太平洋戦争以前の記述も含まれる。
1 不況時の営業活動 p277-281
積極的展開 p277
・「キナの自給を計画して7年ジャワにチカネリ栽培会社を興し…」との記述があり、また、このページに載っている昭和初年から17年までの製品一覧には15年のところに「エ・エ・バクノン(水溶性キニーネ注射液)」が紹介されている。
外地における当社営業と医薬品の統制 p279
・「…エチル炭酸キニーネ等54の甲品と…計92品目が重要医薬品と定められ、…配給統制の対象となった。」との記述がある。
2 薬草園の開設 p282-286
台湾式規那園の開設 p282
・「当社は昭和に入って、海外での栽培事業を企て、コカイン・キニーネの国産自給を目指した。…」以下、台湾でのマラリア治療薬の原料であるキナ樹の栽培について説明されている。
チカネリ栽培株式会社の設立
・キニーネ製造自給のための原料調達について、また安定的な調達のためにチカネリ栽培株式会社を設立したことが説明されている。
3 主要製品の研究と生産・発売 p287-298
その後のキニーネの生産 p295
・太平洋戦争末期までのキニーネの生産について、解説されている。
第Ⅲ節 戦争の拡大と当社 p299-352
3 海外への進出 p307-312
昭和19年までの外地事業所 p307-309
・昭和19年までの外地事業所の状況について説明されています。
・ジャワ地区でのキナ皮の集荷について、またキニーネの配給業務等について経年的な記述がある。p308
・当時の外地事業所(会社)の一覧(社名、資本金、当社資本参加(円/比率(%))、所在地)が掲載されており、キニーネ関連では「チカネリ栽培株式会社」が掲載されている。 p309
4 戦時下の研究と生産 p313-322
抗マラリア剤の研究 p313-314
・抗マラリア剤について、化学式や戦時下での武田薬品での製造の経過などについての記述がある。
・「これら一連の抗マラリア剤の研究と生産は、戦時中の国家要請にこたえたものとして、多くの表彰を受けた」との記述があり、2)として、「本研究に対し技術院から技術院賞(昭和18年)が黒田佐十郎ほかに与えられた」と補記されている。 p314
第Ⅳ節 終戦までの当社 p335-346
1 武田薬品工業株式会社の誕生
終戦時の在外事業場 p342-344
・キニーネ関連事業所を含む終戦時の在外事業所一覧(支店・出張所・農村名等、開設年月、主な事業、備考(変遷の概略等))が掲載されている。p342-344
※p344とp345の間に頁表記のない「南方地区支店・出張所所在地」の地図が掲載されている。
『吉富製薬五十年の歩み』吉富製薬 1990 437p 【499/145N/】 資料番号:1416124467
・第一章 武田化成から吉富製薬へ(昭和15~23年) 第3節 創業初期の経営
「軍需および重要医薬品の生産」p23-28
軍需用に生産された抗マラリア薬を含む軍需用医薬品についての記述がある。
「南方作成に欠かせぬ抗マラリア剤の生産が武田商店の本工場から移管された時期であった。・・」から始まる、武田商店(現在の武田薬品)からの業務移管についての記述がある。 p23-24
「戦時下の業績伸長」p28-29
「17年10月以降、工場の操業が本格化して抗マラリア薬やアスピリンなどの生産業務増大する段階を迎え、第6期(18年3月期)には当社発足以来初めて製品の売上高138万9000円を計上した。…」との記述がある。p28
昭和17年から20年(戦争末期)までの抗マラリア薬などの製造薬剤の売上高を含む「営業成績の推移」の一覧が掲載されている。 p29
『吉富製薬』 ダイヤモンド社 1969年 173p 【499/321N】 資料番号:1416558193
・Ⅱ 武田化成の時代 2 創業初期の生産活動 p22-29
「太平洋戦争と抗マラリア薬」として、抗マラリア薬の生産のいきさつについて記述がある。 p22-24
「優秀な設備と経営陣」として、抗マラリア薬を含む薬剤の国家的な生産体制についての記述がある。 p24-26
[事例作成日: 2019年5月20日]
(上記URLは2019/12/13現在)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- シオノギ百年 [塩野義製薬∥編] 塩野義製薬 1978.3
- 大日本製薬六十年史 大日本製薬株式会社六十年史編纂委員会∥編纂 大日本製薬株式会社六十年史編纂委員会 1957.5
- 大日本製薬八十年史 大日本製薬八十年史編集委員会編 大日本製薬 1978.5
- 大日本製薬100年史 「大日本製薬100年史」編纂委員会∥編集 大日本製薬 1998.5
- 三共六十年史 三共六十年史刊行委員会∥編集 三共 1960
- 三共八十年史 三共株式会社八十年史編集委員会編 三共 1979.12
- 三共九十年史 三共九十年史編集委員会∥編集 三共 1990
- 三共百年史 三共百年史編集委員会∥編集 三共 2000.5
- 武田百八十年史 武田薬品工業株式会社内社史編纂委員会∥編集 武田薬品工業株式会社内社史編纂委員会 1962
- 武田二百年史 本編 武田二百年史編纂委員会∥編纂 武田薬品工業 1983
- 吉富製薬五十年の歩み 吉富製薬株式会社社史編纂委員会∥編纂 吉富製薬 1990.8
- 吉富製薬 ダイヤモンド社 ダイヤモンド社 1969
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 出版情報,ビジネス
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000271379